ドイツ人に刷り込まれた日本

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会う人みんな日本好き?

同居人Dは30代半ば、生まれも育ちもベルリンというベルリーナーである。2019年に私と知り合うまでは日本と特に繋がりがあったわけではなく、弟と一緒に日本旅行をしたことが一度ある、というだけだった。

白い小トトロのぬいぐるみと入場券
三鷹の森ジブリ美術館にも行ったそうで、映画フィルムを使用した入場券とぬいぐるみが今でも家に飾られている

小学校から大学院までベルリンで学んだDは、子どもの頃からの地元の友達が多く、誕生日パーティーなどに一緒に呼ばれているうちに私もほとんど全員と顔見知りになった。そこで誰と話していても驚くのは、

みんな日本文化に詳しい…!

地質学専攻だったDの友人達もどちらかと言えば理系の人が多いし、日本学専攻だったという人は一人しかいない。それなのに、マンガアニメテレビゲームをはじめとした日本のポップカルチャーに誰もが馴染みがあり、日本食が好きだということで家に日本製の調味料や包丁があったり、柔道合気道を習ったりしたことがあるという人もいる。

私たちが暮らしているアパートの下の階に住んでいる若い夫婦と親しくなり、家に招いてもらった時も、二人とも日本のゲームやアニメが大好きで少し日本語もわかることに驚いた。

ベルリン出身の彼らと話していると、私の知らない日本文化の側面も見えてきて、かえって勉強になることも。たとえば、日本より海外で評価の高い日本人アーティスト(ヘビーメタルとアイドルを掛け合わせたBABYMETALなど)については、私はベルリンに来てから知ることになった。

その中で日本に行ったことがあるという人は一部である。なぜ、日本と直接的な繋がりのない“普通の”ドイツ人が日本文化に馴染みがあるのか、この記事では掘り下げて考えてみたい。

子ども時代と日本文化

話は、現在30代半ばのDやその友人達が少年期(5歳~15歳くらい)を過ごした、1990年代半ば~2000年代半ばに遡る。実はこの時期は、現在でも人気のある日本のアニメ、マンガ、ゲームが登場し、日本を飛び出して世界に広がっていった頃である。

オンラインで少し調べてみたところ、『セーラームーン』がドイツで放送開始されたのが1995年で、『ドラゴンボール』は1999年ドイツ語の辞書にも記載されている『ポケモン』のゲームがヨーロッパで販売開始となったのも1999年。その他にも、『名探偵コナン』や『ワンピース』もドイツで大人気。

また、宮崎駿監督のアニメーション映画はドイツでも有名だが、ベルリン国際映画祭で『千と千尋の神隠し』が最高賞の「金熊賞」を受賞したのが2002年である。

つまり、Dの世代のドイツ人は、本国でも不朽の名作と謳われる日本のアニメやマンガやゲームに日常的に触れながら、多感な少年期を送ったのである。学校に行けば友達の間で自然とその話題になったというから、その光景は日本の学校とあまり変わらないのかもしれない。

Dがもっと小さい頃には、ヨーロッパの児童文学が原作の『ニルスのふしぎな旅』や『アルプスの少女ハイジ』をよく見ていたそうだが、それも日本のアニメだということはずっと知らなかったという。

もちろんドイツの子ども達が見ていたアニメがすべて日本発というわけではなく、ドイツ発祥の長寿番組も存在し、1990年の東西ドイツ再統一前から変わらぬ人気を誇るキャラクターもいる。

すぐに思いつくのは、旧西ドイツ生まれの「Die Maus(マウス)」と、旧東ドイツ生まれの「Unser Sandmännchen(ザントメンヒェン)」でしょうか

当時のドイツの子ども達は、セーラームーンやドラゴンボールを見たりポケモンで遊んだりしながらも、それが日本という東アジアの国から来ているという意識は薄かったに違いない。それでもやはり、作品に潜んでいる日本的な風景や要素を無意識に受け入れ、子ども時代の記憶と日本の文化は切っても切れない繋がりを持っているようだ。

これはDではなく、私がハイデルベルク大学在籍中に日本語&フランス語のタンデム(ランゲージエクスチェンジ)をしていたフランス人の友人の談だが、

フランスは日本のアニメが一番早く翻訳されて入ってきたヨーロッパの国の一つなんだ。僕の世代はみんな日本のアニメを見て育っているから、日本に行ったことがなくても、例えばおにぎりを見ると不思議な懐かしさがあるんだよね

とのこと。フランスとドイツは似たような状況のようである。

和室を手作りするドイツ人

大人になっても日本文化に親しむドイツ人の例として、Dの友人であるベルリーナー・Rを紹介したい。じゃがいもの栽培や品種改良を専門とするRは、博士号を取得して現在は大学で研究職に就いているが、なんと趣味が和家具の製作

障子が張られた長方形のランプ
RがDにも作り方を教えた和風のランプ。今は私たちの家にある

独学らしいのだが、大きな家具も一人で作ってしまう器用さ。日本製の工具や部品も色々と取り寄せて揃えている。

台の上で工具を使って木材を切っている男性
上の写真のランプを製作中のR

今は北ドイツの港町・ロストックで一人暮らししているRのアパートに、友人数名と招いてもらったことがある。まずは部屋に入ってびっくり!畳のマットが敷かれ、足を折り畳める手作りのちゃぶ台があり、扉の代わりに部分的に障子が取り付けられていた。夜はちゃぶ台を片付けて、布団を敷いて寝ているのだという。

木材で美しく作られたキッチン
キッチンも自分でリノベーションしたそうで、棚の扉が障子になっている

ちゃぶ台を囲んでのその日の夜ごはんは、Rが前から作ってみたかったというしゃぶしゃぶだった。

ところでドイツでは、薄切り肉というものは基本的に売っていない。ドイツ料理では、肉といえば大きなかたまりか、挽肉を使うからだ。ドイツ在住の日本人は、ブロック肉を半冷凍状態にしてから包丁で薄く削いだり、日本製のスライサーを購入したりと、涙ぐましい努力と工夫をしている。

この日はRが前もって上質の牛肉を注文していたスーパーに行き、「紙のように可能なかぎり薄く切ってください」と肉売り場のお兄さんに頼んだところ、「やったことがありませんが…がんばってみます」と、なんと30分近くかけて一枚一枚丁寧に薄く切ってくれました

そのおかげもあり出来上がったしゃぶしゃぶがこちら!

テーブルに所狭しと並べられた食事(野菜の入った鍋、霜降り肉、タレ、うどんなど)
ちゃぶ台を囲んでいたのは、私以外は全員ドイツ人だったが、まるで日本にいるよう

驚くのは、自分で作った和室で暮らし、こんな本格的なしゃぶしゃぶを用意してくれるRが、実際には日本に行ったことがないことだ。何でもインターネットで購入したりビデオで見たりできる時代になったが、彼の知識にはその恩恵が大きいと言わなければならない。

日常に溶け込んだ日本

Dの友人の輪の外でも、ドイツでは日常生活の思わぬところで、日本を感じるものに出会うこともある。

例えば私がお世話になっているドイツ人のバレエの先生は、レッスン音楽として映画音楽のビアノバージョンを使うことが多いが、欧米のミュージカル楽曲などに混ざって『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」が流れてくると、私はなんだか懐かしくなってしまう。

また、東洋の龍というモチーフも、タトゥーであったり服のデザインであったり、ドイツでは度々見掛けることがある。洞窟などに住んでいて火を吐く西洋の魔物・ドラゴンと、空を飛び神秘的な力を持った東洋の龍は、似て非なる存在だが、ちゃんと混同されずにイメージが伝わっているわけである(龍の発祥は中国だとしても、そのイメージの普及にはドラゴンボールが多大に貢献していると思う)。

この記事で取り上げた30代に限らず、ドイツでは日本に好意的なイメージを抱いてくれている人が多いです。先人たちに感謝ですね

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