おしゃれをする日本人
どうして日本の女の子達は、そんなにおしゃれをするの?
これはドイツ人の友人から何度か聞かれたことのある質問である。日本の独特なファッションは国外でも意外に知られていて、ドイツの普通の書店でも、『東京ストリートスナップ集』のような写真集を売っているのを見かけることがある。
学校へ行く時でも普段でも、おしゃれをして個性を出したい、という願望は、日本だと中高生の頃からはっきり見て取れる。校則が厳しくても、スカートを短くしてみたり、ブランド物の小物を持ってみたり、なんとかギリギリのラインで差別化を図ろうとする。私自身は私服に土足という大学のような都立高校に通っていて、全て自由だったのだが(唯一の校則は、バンカラ時代の名残で「下駄は禁止」)、今思い返すと色んな人がいた。モヒカン、パンクファッション、青く染めた髪…。私も入学式前に早々とピアスを開けていた。
一方で、ドイツ人はそこまで服装を重視していない人が多い。どちらかと言えば見た目より機能重視である。女性でも大抵はTシャツかブラウスにジーンズ、足元はスニーカー、荷物が多い時はリュックサックを背負っている。普段はメイクしていない人も多いので、たまに正装する機会があり、ばっちりメイクしてドレスを着ているのを見ると、別人かと驚いてしまう。
以前チューターとして担当していた日本人学生さんが、「ドイツ人のホストファミリーがいつも同じ服を着ているんです。いつ洗濯しているんだろう?時々違う服を着ていると、誰が誰かわからなくなって…」と話してくれた時には、ドイツらしいなぁと思わず笑ってしまった。
日本とドイツのこの違いはどこから来るのだろう?一見すると表面的に思える相違だが、よく考えてみると、歴史と文化の深いところに根ざしていることがわかる。
ドイツ人の考える個性
このテーマについて、ドイツ人男性と興味深い会話をしたことがある。ベルリン在住のある家族のところに、10日間ほど泊めてもらった時のことだ。旦那さんは現役の弁護士、奥さん(私の友人の従姉妹)は元教師、子どもが3人いるドイツ人一家だった。
旦那さんに、「どうして日本の若い人達は個性的なファッションをするの?」と訊かれた私は、少し考えてこう返した。
ファッションで個性を出さないと、周りと同じに見えてしまうからかなぁ、みんな黒髪に黒い目だし…
すると、彼は納得したように頷いたうえで、こう答えた。
それはドイツにはない考え方だね。僕らは生まれつき、髪の色も目の色もそれぞれ違うから
確かに、その通りである。更に国際化の進んだ現在では、肌の色も様々で、日本人が考える「金髪・碧眼・白い肌」というステレオタイプのドイツ人(というより西洋人)は、意外なほどに少ない。
話が少し本筋から逸れるのだが、ドイツ人が常に携帯することになっている身分証明証には、身長の他に目の色も記載されている。茶色・緑・青・灰色あたりに大別されるようだ。ドイツでは目の色が本人確認の情報として使われるというのは、日本人の目の色が皆ほとんど同じであることを考えると、面白い事実である。
外国人の滞在許可証にも、身長と目の色が記載される。私は外国人局で目の色を訊かれた時に「焦げ茶です」と答えたけれど、「はい、茶色ね」と『茶色』とだけ記載されることに…そんなに細かくはないみたい
ドイツの歴史的な教訓
そして、「どうしてドイツの人達はみんな同じような格好をしているの?」という疑問には、私が考えていなかった答えが返ってきた。
ナチスを経験したから、というのもあるだろうね。みんな人として平等であるべきで、自分の地位やグループを示すような服装はしたくないんだよ
人種にも、性別にも、年齢にも、貧富にも関係なく、みんなTシャツにジーンズといった簡単な格好なのには、少数派を迫害し、人々を優等・劣等と区別しようとしたナチ時代の反省が影響しているという。確かに、ドイツでいわゆる『お金持ち』と呼んでよい人と会っても、ごく質素な身なりのことが多い。
これは、身に付けるもので自分のステータスを示したい、という日本人の感覚とは真逆である。そんなに高所得でもないのに、ちょっと無理してブランド物のバッグや小物を買うような現象は、ドイツではあり得ないだろう。
また、ドイツ人の旦那さんはこうも話してくれた。彼自身は1966年生まれなので、両親は戦争を経験した世代である。
僕たちは、『ドイツ人』という集団意識を持つことにも恐さがあるんだ
ドイツ民族至上主義を掲げて、数多の犯罪を重ねたナチス・ドイツ。その過ちから、「ドイツ人として団結すること」「ドイツが一番だと思うこと」には今でも抵抗があるという。
ドイツといえばサッカーが盛んだが、ワールドカップ開催中のパブリックビューイング(レストランなどで大勢で観戦すること)が一般的になったのは、前々回の大会くらいからとのこと。今ではどこでも買えるが、国旗などの『ドイツ』グッズも、昔はほとんど見かけなかったらしい。特に東西に分断されていた1990年までは、国としての意識を持つことも難しかったのだろう。
「僕は弁護士として、裁判所で色んなタイプの人を見てきたけど、この国の個人主義は徹底している」と彼は言った。人をカテゴリーで括るのではなくて、個人として尊重しようという意識と、それぞれが自由に生きる権利がある、という風潮は、確かに私も感じている。ドイツが外国人に比較的寛容な政策を取っているのも、ナチ時代の反省に拠るところがあるに違いない。
グループに属したい日本人
上記の話の流れで考えてみると、日本の個性的なファッション=個人主義的な個性の現れ、という仮説には疑問がわいてくる。私は、日本のファッションの傾向というのは、2グループに大別できると思っている。
まず、流行を追って、みんなと同じようでいたいと努力しているグループ。私には日本のアイドルはどの人も同じ顔にしか見えないのだが、同じようなヘアメイクとファッションをしていれば、それも無理はない。
次に、流行とは違う、独特のファッションを追求しようとするグループ。パンクやロリータ、森ガールなどのジャンルに分かれている。海外でも注目されている独自の文化である。
一見すると、後者は個性の表現として、目立つファッションをしているように思える。しかし、大まかにジャンル分けできることからもわかるように、実際にはある特定のグループで、その中の規則を守りながらファッションを楽しんでいるのが現状だと思う。私もあるロリータ系ファッションブランドの洋服“だけ”を長く着ていたが、顧客のコミュニティはとても狭くて、お互いのコーディネートをチェックする目が厳しく、他のメーカーの服や小物を混ぜることは暗黙の了解として避けていた。
日本の女の子達は、自分の支持するファッションの系統やブランドに対する忠誠心のようなものを持っている。そうすると、おしゃれをして見せたいのは、個性ではなくて、ある種の属性なのではないか、と思えてくる。
流行を追って主流のスタイルをしている人は言わずもがな、個性的なファッションをしたいと思う人も、最終的にはどこかのカテゴリーに落ち着く。校則を破らない程度に『違い』を楽しむ中高生のように、周りと違うことをしてみたいけれどアウトサイダーになるのは嫌、という意識が働いているのではないだろうか。
私自身が女性なので、女性視点の分析になってしまったが、男性のファッションにおいても似たことが言えるのではないかと思う。
個性は生まれた時から誰にでもあって、無理に飾り立てる必要はないんだよ。それは日本人にとっても同じだと思うんだけどな
ドイツ人の弁護士さんは、こう言っていた。自分自身が1つのカテゴリー、と思えるドイツの個人主義は、やはり日本の全体主義的な文化とは根本的に違う部分も多いな、と気付かされる対話だった。
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