古代の空間に飛び込む
前回の記事では、エジプトで感じた異文化のうちネガティヴなものから紹介したが、もちろん嫌なことばかり印象に残っているわけではない。エジプトの文化財はまさしく唯一無二で、思い切って渡航してみて本当によかったと思う。
何が素晴らしかったかと言えば、数千年前の遺跡に入り、当時の人々が創り出した空間に包まれて、タイムスリップしたような感覚を味わえること。日本人の私にとっては、1000年くらい前の平安時代ですら想像が及ばない遥か昔のことのように思えるが、エジプトの歴史の長さはその比ではない。
エジプトといえば、まずは北部にあるギザのピラミッド。紀元前2500年頃に造られたと言われているので、なんと4500年前からそこにそびえ立っているのである。
近づいてみると、一つ一つの石が予想以上に大きいことに驚く。機械を持たない4500年前の人々がどうやって無数の石を切り出して、ここまで運び、積み上げたのか、まったく想像がつかない。
一部のピラミッドは追加料金を払えば内部の空間にも入ることができる。高さがないので真っすぐに立って歩くことはできず、中腰または這いつくばるように狭い通路を進んでいくのは、まるでインディ・ジョーンズの世界!冒険心は満たされるが、足腰に自信のある人にしかお勧めできない。
基本的に内部には、狭い通路と、その先にある少し開けた空間以外に見るものはない。空気の出入りが少ないからだろう、私たちが行った1月でも蒸し暑い空気がこもっており汗をかいた。
ツタンカーメンが眠る谷
それから、日本でも不動の知名度があるファラオのツタンカーメン。今から3000年以上前(!)の少年王だ。
その墳墓が発見されたのは中部の古都ルクソールで、エジプト新王国時代の王一族の墓が集中している「王家の谷」。現在は長い保存作業を経て一般公開されている。
階段を下りて地下にある内部に入ると、色鮮やかな壁画に息を呑む。有名な黄金のマスクをはじめとした豪華な副葬品はカイロの博物館で展示されているが、この墳墓では今でもツタンカーメンのミイラが透明なケースに入れられて静かに横たわっているのを見ることができる。
3000年以上という気の遠くなるような長い時間、古代のファラオがこの小さな空間でじっと眠っていて、今その場所に自分が入れるというのは鳥肌が立つような経験だ。
この「王家の谷」は間違いなくエジプト旅行のハイライトの一つ。60以上の墓が密集しているが、その時に公開されているものの中から、入場チケットでは3つの墓を選んで入ることができる。一部は追加料金を出せば見学可能。私たちはラムセス3世・ラムセス4世・ラムセス9世、それからラムセス5&6世(追加料金)とツタンカーメン(追加料金)の墓を訪れた。
副葬品の財宝は盗掘に遭ったり博物館に運ばれたりして見られないが、どの墳墓でも壁に描かれた古代の神々や、現代の絵文字のようにも見えるヒエログリフに圧倒される。私は東京外国語大学(言語オタクが多い)出身者らしく象形文字に興味津々で、壁からうっすら浮き上がるように見える、芸術作品みたいなヒエログリフにうっとり。
この神秘的な「王家の谷」を満喫する方法は、岩山の中に入って墓を巡るだけではない。なんと空から俯瞰することもできるのだ。それが、私たちも参加した気球ツアー。
個人的にはピラミッドを見る以上に感動的だったので、おすすめのアクティビティです!
ホテルからまだ真っ暗な中を出発し、日の出の時間帯に合わせて気球に乗り込む。高度が上るにつれて、眼下には王家の谷をはじめとした遺跡が点在する風景が一面に広がっていく。
乗り込むときにはジャケットを着てスカーフをぐるぐる巻いても寒いくらいだったのが、気球のエンジンともいうべきバーナーの熱と、東の地平線からお目見えした太陽に照らされて、一気に温まってくる。
砂漠気候のエジプトでは、一日の寒暖差が激しく、夜明けまでは寒くても、日が昇るとぐんぐん気温が上がっていく。肌に太陽の熱を感じると「生かされている」という感じがする。古代エジプトでは太陽を絶対的な神様として崇めていたというのも、それはそうだよね、と素直に理解できる気がした。
ルクソールは、真ん中を流れるナイル川によって東西の岸に分かれている。太陽が昇る東岸は「正者の都」として神殿が建てられ、太陽が沈む西岸は「死者の都」として墳墓が造られたのだという。王家の谷があり、気球ツアーが行われているのも西岸である。
気球ツアーを終えた私たちは、ナイル川を船で渡って東岸の神殿も幾つか訪れた。屋外にある遺跡の壁や柱では、まだ驚異的な色鮮やかさの墳墓とは違い、さすがに色はうっすらとしか識別できない。建設当時はカラフルだったそうなので、それは豪華絢爛だったのだろう。
壮大な文化財保護プロジェクト
文化財自体にも驚愕するが、それを保護する取り組みも驚くべきものである。世界遺産が点在するエジプトだが、南部の見所ナンバーワンといえば、アブ・シンベル神殿だと思う。
なんとこの壮大なスケールの神殿、そっくり移築されたという過去がある。1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムが建設されることになり、水没の危機にあったが、ユネスコによって国際的な救済活動が行われた。4年かけて幾つもの部分に分割され、約60メートル上方の丘へ移され、同じように組み立てられたのである。神殿を覆っている岩山は、実は人工的に造られたコンクリート製のドーム。
この一大プロジェクトを支援した国の一つは日本だという。私たちを案内してくれた現地ガイドが、「日本はじめ、支援してくれた国に私たちは本当に感謝しています。『世界遺産』というだけあって、この神殿はエジプトだけではなく、人類全体にとっての遺産なのです」と話していたのが印象的だった。
日本が協力していると言えば、カイロ郊外のギザに新しく建設されている大エジプト博物館を忘れてはならない。なんと東京ドーム10個分の敷地に約10万点を収蔵する巨大な博物館で、JICA(独立行政法人国際協力機構)が遺物の保存修復、人材育成、運営企画支援など、多面的な協力を2008年から行っているという。新型コロナウイルスの影響もあって、全館オープンは何度も延期となっており、私たちがエジプトへ渡航した2024年1月時点ではまだ訪れることができなかった。
有名なツタンカーメンの黄金のマスクなども将来的には大エジプト博物館に引き継がれる予定だが、私たちはまだカイロ市内にあるエジプト考古学博物館で見ることになった。黄金のマスクや棺は撮影禁止だったので、その付近にあったツタンカーメンの黄金のカノポス厨子(ファラオをミイラにする際に取り出した臓器を保存する壺=カノポスを安置するためのもの)をパチリ。
開館から100年以上が経過したこの博物館はかなり老朽化しており、メインの展示スペースから少し離れた横の部屋へ入ると、まるで物置のように棺などが無造作に並べられていてちょっと面食らった。そもそも収蔵する展示物の数が建物のキャパシティを明らかに超えているので、ごちゃごちゃしている印象は否めないのだが、これも大エジプト博物館に移転してからはがらっと変わるのだろう。
少しエジプト通に
私たちは9日間の旅だったので、そこまで長い期間エジプトにいたわけではないが、ガイドの説明を聞いたり自分たちで調べたりしているうちに、幾つかのことは学んだ。
まず必要に迫られて覚えたのは、10までのアラビア語の数字。配車アプリで車を手配すると、車種とナンバーが表示されるので、それを目印にピックアップに来た車を見分けないといけない。しかし実際のナンバープレートはアラビア語で書かれている。私たち4人はオンラインで見つけた表を見つつ解読した。
また、毎日のように遺跡を巡って説明を受けているうちに、頻繁に使われる図形の意味も部分的に覚えた。楕円形の枠は『カルトゥーシュ』と呼ばれ、その曲線で囲まれているヒエログリフはファラオの名前であることや、取っ手がついた十字架のようなシンボルは『生命の鍵』であること…。
古代エジプトには多数の神々がおり、主に崇められている神は神殿によって異なるのだが、私たちの“推し神”(お気に入りの神)は、天空の神であるホルス神。隼の頭と人間の男性の肉体を持つ神だが、鳥の姿で像になっていることもある。
ところで、私は個人的に、エジプトに行く前からずっと疑問に思っていたことがあった。
どうしてエジプトの壁画って、どの人物も横顔で描かれているのだろう
この問いを何人かの現地ガイドにぶつけてみたところ、100パーセントこれ!というすっきりした回答は得られなかったのだが、「正面(つまり神殿・墳墓を訪れている人)に顔を向けるよりも、壁画の中での関係性が重要だから」とのことだった。どの神様やファラオが誰の方を向いているかで、相互の関係を読み取れるそうである(もしエジプト学に詳しい方がいたら、ぜひこの記事にコメントをお願いします)。
ちなみに、この記事で紹介しているどの屋外の写真も晴天だが、天気が良かった日の写真だけを選んでいるわけではない。基本的に毎日カラッと晴れているからだ。私たちを南部で案内してくれたガイドに、「どのくらいの頻度で雨が降るんですか」と聞いてみたところ、「5年に1回パラっと降るくらいかなぁ、それでもみんな大騒ぎだよ」と言っていたので、ほぼ毎日雨という梅雨を知っている日本人としては想像しにくい環境である。
さて、ここまではエジプト旅行の観光ハイライトや学んだりしたことの一部をご紹介したが、現地の人々との交流も、ピラミッドや気球ツアーと同じくらい強烈に印象に残っている。次の記事ではなかなか衝撃的なエピソードを幾つかご紹介したい。
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