主役は悪者?マルシア・ハイデ版『眠れる森の美女』②

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同じ演目を3回観て

今シーズンついにプレミアを迎えた、ベルリン国立バレエの『眠れる森の美女』。前回の記事では、マルシア・ハイデがどのような背景を持ってこの作品を振り付けたかと、実際に舞台で重要な役を踊るダンサーたちの話を紹介した。

違うキャストの日を選んで、さっそく公演を3回観てきたので、その印象を共有したいと思う。最初に一言言うならば、期待を裏切らない素晴らしいプロダクションだった。ご存知の方も多いと思うので、この記事の中では『眠れる森の美女』のあらすじは省くことにする(もし詳細に興味のある方は、Wikipediaをどうぞ)。

イントロダクションでマルシアが言っていたように、シュトゥットガルトバレエ団のオリジナルとは舞台美術衣裳が変わっており、また違った素敵さだった。

ベルリンのバージョンを担当したジョルディ・ロイグによれば、時代の変遷も反映させたのだという。オーロラ姫の誕生は18世紀半ばに設定されており、パステルカラーや優美さが特徴のロココの時代である。そして、姫が16歳を迎えたシーンではファッションやスタイルがすでに変化している。また、100年の眠りから覚めるのは19世紀後半になるので、ロマン主義の要素を取り入れたそうで、更にシックな印象だった。

カラボスに始まり、カラボスに終わる

ベルリン国立バレエには、ポリーナ・セミオノワヤーナ・サレンコという世界的に有名な女性ダンサーが二人いる。普通はプレミア(公演初日)といえば一回しかないわけだが、今回は『Aプレミア』『Bプレミア』というかたちで二回あり、それぞれのバレリーナをオーロラ姫役に据えていた。

最初に私が観にいったのは、オーロラ姫がヤーナ、デジレ王子が私の大好きなダニール・シムキン、そしてカラボスがアルシャクという、Bプレミアのキャストだった。以下の公式トレイラーは55秒と短いので、ぜひ一見を!

公演当日は、ホールに入った瞬間から、悪の妖精・カラボスの存在を意識させられる。幕が上がるまでに目に入るのが、舞台に描かれたカラボスの後ろ姿なのである。

開演時間になってホールが暗くなり、客席が静まってオーケストラが序曲を奏で始めると、ゆっくりと舞台下手からカラボスが現れる。一歩一歩踏みしめるように進み、舞台半ばで立ち止まって、深く被っていたフードを下ろして客席を見上げ、白く塗られた顔と、鬼の角のような飾りを付けた長い黒が露になる。そして再び上手へと去っていった後、バレエの本編が幕を開ける。

プロローグで誰よりも早くカラボスが登場することで、その存在をどこか頭の隅に置いた状態で、観客は作品の世界へ入っていく。第一幕はまだ幼児のオーロラ姫の洗礼式から始まり、歓喜と祝福に満ちているが、途中で雷のようなドラマティックな音楽が割り込むように流れ、忍者にも蜘蛛にも似ている複数の手下と共にカラボスが現れる。

シュトゥットガルトでの初演からそうだったが、裾の長いカラボスの衣裳は、日本の歌舞伎から着想を得ているそうだ。男性が女性の役も演じるという点でも通ずるところがある。

マルシア・ハイデ版『眠れる森の美女』のカラボスの振付は、高速の回転やジャンプが多用されるダイナミックなもので、クラシックバレエだけでなくコンテンポラリーの要素も強い。ダンサーの演技力も問われ、善の妖精・リラの精との闘いのシーンも手に汗を握るような緊張感をもって演じられる。

ところで、他のバージョンと比べてバリバリ踊る男性ダンサーはカラボスだけではなく、4人の王子もそうである。オーロラ姫の16歳の誕生日に求婚者として登場する、北の王子、西の王子、南の王子、東の王子は、私が観たことがある他のバージョンではあまり目立たない。第1幕の見せ場である『ローズ・アダージョ』(オーロラ姫が王子4人を相手に踊る)でオーロラ姫をサポートする存在、というくらいの認識だった。

マルシアは事前のイントロダクションでも、「せっかく素敵な王子様が4人もいるのに、なんで見せ場がないんだろうってずっと疑問だった。だから私のバージョンでは、ちゃんと踊ってもらうことにしたの」と言っていた。その通り、他のバージョンでは『女官の踊り』や『友人の踊り』と呼ばれて女性たちが踊る、ローズ・アダージョの後の音楽が、4人の王子の踊りに生まれ変わっていた。しかも順々に難易度の高い技が披露され、まるでダンスバトルのようで見ていて楽しい。

第3幕の『宝石の踊り』にもアリババとして男性ダンサーが登場し、それに合わせてアメジスト、サファイア、ルビー、エメラルドである女性ダンサー4人の衣裳もアラビア風になっていて素敵だった。男性ダンサーを活躍させることをマルシアが強く意識していたことが至るところで感じられる。

さて、オーロラ姫が100年の眠りから目を覚まし、デジレ王子との結婚式が盛大に行われたフィナーレの後も、最後の最後で再びカラボスが登場し、リベンジを誓うような表情と仕草を見せて舞台から走り去っていく。まさしくカラボスに始まり、カラボスに終わる『眠れる森の美女』である。

カーテンコールにて、前に出て客席にお辞儀をするヤーナとダニール
3時間を超える公演を終えたカーテンコールにて

この日のオーロラ姫だったヤーナ・サレンコは、すごく芯の強い技巧派で、ドン・キホーテのキトリのような役が似合うイメージだったのだが、またがらりと印象が違ったことに驚いた。本当に可憐な16歳の少女のように見えたのである。デジレ王子のダニール・シムキンは、相変わらず驚異的な安定感のある回転と身軽さで、宙に浮いているように見えるほど高くジャンプしても、着地で「どんっ」という音を立てないしなやかさが素晴らしい。

『眠れる森の美女』とは直接関係のないことなのだが、第3幕の息の合ったパ・ドゥ・ドゥや、カーテンコールで手を取り合って拍手に応えている二人を見ながら、私は感動して涙が出そうになった。というのも、ヤーナはウクライナ人、ダニールはロシア人なのである。政治の世界で何が起こっていようとも、国籍に関係なく同じ情熱を持った人たちが一丸となって創りあげる芸術はなんて素晴らしいのだろう、と改めて実感した。ヤーナはウクライナの支援活動にも取り組んでおり、4月にウクライナ大使館と彼女が主催したチャリティーのガラ公演を私も観にいった。

ポリーナ・セミオノワと奥村彩さん

次に観にいった公演はAプレミアのキャストで、ベルリン国立バレエきってのスターダンサーであるポリーナ・セミオノワがオーロラ姫だった。デジレ王子はアレクサンドル・カニャ(Alexandre Cagnat)というフランス人のドゥミソリスト。

私は日本にいた10代の頃、たまたまポリーナが踊る映像を見てバレエの美しさに衝撃を受け、自分でも習い始めるきっかけの一つになったという経緯があるので、それ以来ずっと憧れの存在です。当時は想像もしていませんでしたが、ロシア人の彼女と同じく日本人の私もベルリンで暮らすことになり、舞台で踊る姿を生で見られるようになるとは、なんだか不思議な巡り合わせ

小柄なヤーナとダニールのペアとは打って変わって、今回のメインキャストは二人とも長身である。174㎝あるポリーナがトゥシューズで立ってもバランスが悪くならないので、アレクサンドルは190㎝はあるのではと思う。以下が約1分のトレイラーである。

ポリーナといえば、10頭身ありそうなプロポーションが最大限活きる白鳥の湖のオデット&オディール役のようなイメージが強いが、オーロラ姫役も上品な印象で素敵だった。

この長身ペアとある意味で対照的だったのは、今シーズン最後の『眠れる森の美女』の公演。元オランダ国立バレエ団の奥村彩さんが、ベルリン国立バレエに移籍後初めてオーロラ姫を踊ったのだ。デジレ王子は再びダニール・シムキン。

彩さんはとても小柄ながら、それをカバーするように大きくパキッとした動きで広い舞台を使い、オーロラ姫としても元気で可愛らしい印象を受けた。身長が低くても、欧米人にプロポーションで敵わなくても、テクニックと表現力を極めればヨーロッパで主役を踊れるんだという希望を、プロを目指す日本人ダンサーたちに与えてくれる存在だ。

一緒に観にいったロシア人の友人もこの公演に感激し、数日後に会った時も「Ayaのオーロラ姫、頭から離れないのよ」とまだ余韻に浸っている様子だった。「あの日は本人としても完璧な出来ではなかっただろうし、すごく小柄だとかハンディキャップもあるけど、テクニックが確かなだけじゃなくて何か惹かれる踊りだった。身体的な条件だけで言ったら、リラの精みたいな手足の長いダンサーの方が確かに美しいけど、人形が踊っているみたいであまり印象に残ってないの。Ayaからは人間的な魅力と感情が伝わってきた」とのことで、私もオーロラ姫の笑顔を思い出しながらこれに同感だった。

この日のカラボス役ディヌだったのだが、コンテンポラリーの要素をかなり強く感じたアルシャクと比較して、もっとクラシックかつ中性的な印象を受けた。手のひらを外側に反らして長い爪を強調するような手の動きなど、演技に繊細さがあった。

イントロダクションでマルシアが「ぜひカラボスを3人とも見てみてほしい、それぞれまったく違うから」と話すのを聞いたときは、「振付は決まっているはずなのにそこまで違うものなのだろうか」と少し疑問だったのだが、この日その意味がわかった。演技の部分はダンサーに大きな表現の自由を与えているのだ。

例えばまだ幕が上がる前に、カラボスが下手から出てきて、幕の前をゆっくりと横切り、上手に去っていくシーン。舞台の真ん中あたりで立ち止まり、目深にかぶったフードを一度おろして顔を客席にゆっくり向けたアルシャクとは違い、ディヌはフードを被ったままで、その代わり片腕をゆっくり挙げて舞台に描かれた絵とまったく同じポーズを取った。

舞台上の幕に描かれた、赤いマントを着たカラボスの後ろ姿
開演前に撮った舞台の写真。この絵の前をカラボスが歩いていく

マルシア・ハイデ版『眠れる森の美女』全体を通してもかなり特徴的で、「うまい!」と観客をうならせる演出の一つが、オーロラ姫の誕生から16歳の誕生日までの時間の経過を表現するシーンである。いわゆるチャイコフスキーの『パノラマ』の音楽が流れる中、舞台の天井から一面に垂れている黒い布をカラボスがマントのようにまとったり、その前で踊ったりする。

合間に何度か布を手繰り寄せて、後ろの舞台の一部が見えるようにし、子役が踊るオーロラ姫がリラの精に見守られながら(そしてカラボスに目を付けられながら)美しい少女に成長していく様子が表現される。このシーンでも大きな部分がダンサーの自由に任されているようで、ディヌとアルシャクでは動きがかなり違った。

マルシアの言う通り、キャストはみんな違ってみんないい。いつも私は好きな演目は何回も観にいくのだが、その度に演出上の細かい点にも色々と気が付いてますます面白くなる。来シーズンも『眠れる森の美女』の公演は続くので、また観られることが今から楽しみだ。

カーテンコールにて、前に出てお辞儀をする彩さんとダニール
奥村彩さんとダニール・シムキンのカーテンコール。これにて今シーズンの公演日程は終了

ところで、皆さんご存知の通り、オーロラ姫はデジレ王子のキスによって100年の眠りから覚める。そのキスシーンは演技であって、顔を近づけるだけなのだが、最後のカーテンコールでダニールが彩さんの手を取って甲にキスしたのを見て、私でさえ(普段は忘れ去っている乙女心が急に顔を出して)「きゃっ」と思ったのだった。

ダニール・シムキン、最後の最後までリアル王子でした…!

この記事を読んでくださったドイツ在住者には、ぜひシュトゥットガルトかベルリンでマルシア・ハイデ版『眠れる森の美女』を観てみてほしい。カラボスという悪役が中核に据えられた、ユニークな演出である。ダイナミックで退屈しないし、物語もわかりやすいのでバレエに馴染みがない人でも楽しめること間違いなし。

シュトゥットガルトバレエ団は定期的に来日公演も行なっている。2022年は残念ながら中止となったそうだが(ちょうど『眠れる森の美女』を公演予定だった)、日本でも生で観られる機会があるはずだ。

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