コロナと過ごすベルリン①:日常が非常になるまで

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コロナウイルスの年、2020年

日本、また世界中の国で生活を一変させてしまった新型コロナウイルス。私はそのパンデミックをベルリンで迎えることになった。

得体の知れないウイルスに対する不安を抱えながら過ごした数ヶ月を経て、2020年7月現在、ベルリンの生活は少しずつ通常に近づきつつある。そうは言っても、全てがコロナ以前の状態に戻るということは(おそらくこの先もずっと)ないだろう。

ちょうど順番が回ってきたドイツは、現在EU理事会議長国を務めている。EUの先導的役割を担う国にて一住民として経験した、新型コロナウイルスによって様変わりを続ける生活について、いくつかの記事に分けて書き留めたいと思う。

対岸の火事が燃え移ったとき

私の身近で初めて新型コロナウイルスの影響が話題に上ったのは、1月下旬、フランス人の友人が泊まりにきたときだった。彼女は私が前に勤めていたドイツ企業の同僚で、ベルリンで大規模な国際ミーティングがあるというので、パリ支社から飛行機でやって来たのだった。

ミーティング、中国支社からの参加者が全員キャンセルになったのよ。ほら、変なウイルスが中国で流行しているってニュースで見るでしょ…

という話を、家で作ったお好み焼きを食べながら、呑気に話していたのだった。その時には『コロナ』という単語は私達の語彙にはなく、まだ対岸の火事という風だった。

その炎がイタリア北部へ燃え移り、ドイツでも感染者が確認され始めた2月下旬、『コロナウイルス』という名前とそれに対する不安は一気に蔓延し、メディアの報道も人々の話題もコロナ一色になった。3月にはドイツでも感染者が急激に増え始め、そこからの急展開は目を見張るものがあった。

連邦制国家のドイツは各州の決定権が大きく、コロナ対策措置も州ごとに少しずつ異なる。この記事では私が暮らしている都市州・ベルリンの対応を扱うが、とにかく州政府の決定のスピードに驚き、戸惑うほどだった。1〜2週間ごとに改正される政令で、あれよあれよという間に生活が激変した。

文化生活ストップ

3月初旬には、大勢の人が集まる場所に出向くことに、一般の人も不安を感じ始めていた。3日にNHK交響楽団のドイツ公演がベルリン・フィルハーモニーであり、私も仕事で関わっていたのだが、「ウイルスの恐れのため」出席を辞退する観客が少なからずいた。それでも公演自体は予定通り行われた。

しかしその翌週、「大規模イベントは公私に関わらず当面禁止」という政令が出され、いきなりコンサートホールも劇場もオペラ座も全公演をキャンセルすることになった。驚くのは、政令が発効するのは発表の当日ないし翌日、というスピード感である。特に文化イベントの多いベルリンでは、何千枚というチケットを扱う文化施設が多数あるが、突然スケジュールを変えなければならなかった関係者の戸惑いはいかほどだったろう。

私自身は、今シーズンで一番楽しみにしていたベルリン国立バレエの『白鳥の湖』が、気合を入れて予約していた2公演ともキャンセルとなり、数日間かなり落ち込んでいた。

ポリーナ・セミオノワの白鳥、夢に見るほど楽しみだったのに…!!

しかしもっとショックを受けていたのは主催側だったことは間違いない。それでも国立バレエの対応は素早く、「明日以降の全公演がキャンセルとなりますが、以下の書式に記入して劇場窓口に持参するか、郵送すれば、チケット代を返金します」という旨が、すぐにホームページにアップされていた。私も返金手続きのため劇場に出向いたところ、窓口の担当者が忙しそうにしながらも、「お手間を掛けてすみません」と(ドイツ人らしくなく)謝ってくれたので、更に気の毒になったのだった。

その直後には、保育所・学校や、スポーツ施設の閉鎖も決定され、私が通うバレエ教室も政令が出された翌日から急に閉鎖された。

生活からアートが消えた」というのが、私にとって、コロナによる社会生活の変化の第一段階だった。

外出自粛ムードと『ハムスター買い』

人が集まる施設が閉鎖されていく中、3月からは多くの企業がホームオフィス(在宅勤務)に切り替えた。ドイツは日本と比べて、元々ホームオフィスという選択肢が普及していたので、それほどの抵抗はなかったように思われる。もっとも教育施設が閉鎖されていたので、小さな子どものいる親にとっては、ホームオフィスをしながらホームスクーリングをするというのは、大変なストレスであることは間違いない。

私自身は企業ではなく公的機関に勤めているが、3月半ばから6月末まで2グループ体制で、一日置きに交代で出勤とホームオフィスをしていた。もし誰かが感染しても、そのグループだけ出勤を停止すればよい。公共交通機関の利用者が目に見えて減り始め、以前のドイツでは考えられなかったがマスクをしている人も見かけるようになった。

しかし「正当な理由がない限り出掛けてはならない」という外出禁止令は出されていなかったので、社会生活をどこまで制限すべきか、誰もが手探りの状態だった。それでも不要不急の外出は避けるべきという雰囲気は広がっていた。まだ飲食店は営業していたが、私と友人達も、会うとすればどちらかの家で一緒に料理をして食べるだけにした。

この時には既に問題化していたのは、ドイツ語でいうと“Hamsterkäufe”、直訳で『ハムスター買い』である。そう、一生懸命エサをほっぺたに詰めるハムスターを思い浮かべると何だか可愛らしく思えるが、つまり買い溜めのこと。

がらがらの陳列棚
3月14日撮影。パスタのコーナー、ほぼ空っぽである

ドイツで真っ先に棚が空になったのは、小麦粉、パスタ類、石鹸類、そしてトイレットペーパー。日本でもトイレットペーパーやティッシュがお店から消えたという報道を見てちょっと可笑しくなったが、人間の心理というのは国を問わず面白いものである。

私もなんとか家のストックが切れる前にトイレットペーパーを見つけて買えたが(嬉しさのあまり友人達にメールで報告)、それまで2週間くらい探し回った。デュッセルドルフ在住の友人は、トイレットペーパーを持って歩いていたら、薬物中毒者らしき若いカップルに狙われて逃げて帰ったそうだ。

トイレットペーパーを買って喜んだり狙われたりする日が来ようとは…!

メルケル首相の影響力

日常が『非常事態』になりつつあり、目には見えないけれど確実にドイツに侵攻するウイルスの脅威に誰もが落ち着かなかった3月半ば。感染拡大状況が違うこともあり、州ごとの対応にも相違があった。何を頼りにすれば良いのか不安感が広がる。

そんな中で3月18日の夜、メルケル首相が異例のスピーチを全国民に向けて行なった。13分くらいの長くはないメッセージなのだが、これが素晴らしかった。落ち着いていて、明瞭で、説得力がある

「個人の自由を制限する現在の措置が、民主主義に反するものだということはわかっています。それでも、人と人との接触をできる限り減らすことが、今は命を救うために必要不可欠なのです。政府は皆さんの生活や雇用を守るためにできる全てのことを行い、なぜそのように決定したのか、理解できるようにしていきます」という。

メルケル首相は物理学で博士号を取得した秀才だが、理論的に思考する冷静な科学者としての顔を垣間見れた気がした。同時に、医療従事者やスーパーマーケットの店員に対する心からの感謝を表すことや、買い溜めを戒めることも忘れない。

私も生中継で視聴していたが、「大丈夫ですから安心してください」と安請け合いするのではなく、「過去に例のない非常事態です。これから生活はもっと大変になっていきます。それでもドイツはこの危機を乗り越えられると信じていますが、全員が協力しなければそれは不可能です」と、むしろ「この事態を一人一人が真剣に受け止めるように」と呼び掛ける誠実さに感心した。

そしてスピーチがあった翌朝、私は出勤日だったのでいつも通りベルリン中心地に向かっていたのだが、その影響力はすごかった

ほとんど乗客のいない地下鉄の車内
ベルリン中心部を横断する地下鉄U2線の車内

いつもであればまず座れない、通勤で混み合う路線ですら、1車両に1〜2人しか乗客がいない。街中も静まりかえり、車の往来も目に見えて減った。3月に入ってからはどんどん街から人が減っていたものの、それが一気に進んだ印象だった。

週末に会おうという話をしていたドイツ人の友人からも、「メルケルさんのスピーチを聞いて、やっぱりやめようと思う」と連絡が入った。今はなるべく人と会わないことが、命を守ることに繋がるんだ、とドイツの人々の間で共通認識が芽生えたのが感じられた。

それからは連邦政府が基本方針を決定し、各州の政府がそれを考慮した上でコロナ対策を講じるという姿勢がよりはっきりとしたのだった。住民達の意識も変わった。個人の自由が尊重されるドイツという国で、ここまで全体としての連帯が強調されるのを見るのは初めてだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました