体調の変化
火曜日の話。
おや、と思ったのは午後のこと。在宅勤務で家の中にいても、窓から差し込む日差しがポカポカと足元を温めてくれる、春らしく気持ちの良い日だった。午前中は快適に仕事をしていたのに、なんだか急に寒くなったのである。
肌寒い、というのではなく、体の芯が凍えるような嫌な寒さ。お茶を入れたり、スープを作って食べたりしてみると、その間は誤魔化されるのだが、またすぐに寒くなる。
そしてなんだか体がだるく、頭もすっきりしない。いわば風邪の症状。元々の花粉症のせいもあると思うが、鼻水も止まらない。
このご時世、風邪のような症状があると疑うのは新型コロナウイルス。私も近所のテストセンターに出向いて無料の簡易検査を受けたものの、結果は陰性だった。その日はとりあえず早めに寝ることにした。
水曜日。
出勤日だったため7時に起床したが、やはり体調が良くない。しかし朝のうちにしたセルフテストでは陰性。
テストセンターと違い証明書はないが、ドイツでは薬局などで自宅用の抗原検査キットを手軽に購入できる。
仕事も待ってくれないので職場に向かい、いつも以上に気を付けてマスクを外さず、念のため同僚たちにも「体調が変なのであまり近づかないでください」と断って、なるべく接触しないようにした。私の職場は2グループ体制で交互に在宅勤務をしているので、どちらにしても同室の同僚はおらず、一人部屋なので気楽である。
事務所でしかできない作業を午前中に片付けたものの、やはり軽い悪寒と怠さがある。コロナという可能性もあるし、これは早く帰った方がいいなと判断し、上司にメールで了承を取ってから昼休みに帰宅した。午後は若干ぼんやりしつつも在宅で翻訳作業。
そしていよいよ体調が悪くなったのが同じ日の夜。この日に限って例外的な案件があり、夜も在宅で仕事をする予定になっていたので、夜ごはんの後に再びPCに向かっていたのが、どうにも熱っぽい。鼻水が止まらない他にも、時々くしゃみと、電話口で喋ろうとすると咳が出るようになった。
これはやはりコロナに違いない、と思って再びセルフテストをするも、やはり陰性。
木曜日。
在宅勤務だったので、ゆっくり寝て起きてみると、だいぶ楽になっていた。やっぱりただの風邪だったのかなと首を傾げ、午前中は普通に仕事をして、心配してメールをくれた同僚たちにも「もう大丈夫そう、明日また事務所でね」と返信をしていた。
そして昼休みになり、念のためセルフテストをした。昨日の夜と同じく陰性だろうとプレートを放っておいて、15分後に覗き込んだ私は自分の目を疑った。
ラインが2本出てきた…?!
感染者の一人に
ということで、ついにコロナに感染した。
簡易検査では、陰性だとCのところにラインが出てくるだけである。この2年ほどで幾度となくテストしたが、初めてTのところにもラインが出てくる、つまり陽性なのを見るとやはりショック。
ベルリン州では、簡易検査で陽性結果が出た場合、無料で確認のPCR検査を受けることができる。私も木曜日のうちに受けに行って、翌日にメールで結果が届いたが、案の定これも陽性だった。
現在の政令では、陽性が確認された次の日から起算して10日間の自宅隔離をすることになっている。しかし、7日目以降に受けた検査が陰性かつ症状がなければ、隔離を短縮することができる。
私も職場にすぐ連絡し、一週間は在宅勤務ということにしてもらった。上司も同僚たちも驚いた様子はなく、「あなたもか」と気の毒がってくれただけだった。
というのも、職場でも続々と感染者が増え、すでに2〜3割の人が罹っているからである。普段は隣の席に座っているドイツ人の同僚も、私の少し前に陽性となり、しばらく病欠になっていた。
趣味で通っているフランス語コースでも、生徒8人のうち2人(私を含めて3人)がすでに感染していたし、バレエクラスでも「しばらく見ないな」と思っていた仲間が実はコロナになっていたということがあった。
街中や公共交通機関の中でも、陽性と後でわかった感染者がすぐ近くにいることがある。ドイツでは『Corona-Warn-App』(コロナ警告アプリ)というアプリをダウンロードすることが推奨されている。他のユーザーに遭遇すると、スマートフォンが自動的に暗号化されたランダムコードを交換し、接触の事実・時間・距離を伝えるというものだ。
過去14日間に感染者と遭遇し、高リスクの接触があったと判断される場合には画面が赤くなるのだが、感染者が増え続けるベルリンでは、数ヶ月前からほぼずっと赤い状態。もはやいつ自分が感染しても不思議ではない状況だった。
感染源の心当たり
しかし、身の回りでどんどん感染者が出ているという状況の他に、自分がどこで感染したのか私はほぼ確実にわかっている。その前の週末に会った友人が、実は陽性だったのだ。
私が体調不良を感じた火曜日の前日、つまり月曜日は仕事が休みだったので、せっかくの3連休だと思い、ベルリンから電車で6時間ほど離れたノルトライン=ヴェストファーレン州の友人宅に一人で遊びに行っていた。私がイギリスを経由してドイツへ辿り着くきっかけとなった、ドイツ人Cの実家である。
実はその数日前にCのお母さんから、「先週末会った80歳の姉が陽性だったので、私やCも感染した可能性あり。木曜日くらいまで様子を見た方がいいかも」と連絡があったのだが、みんな簡易検査ではずっと陰性とのことだったので、私は予定通り土曜日の早朝に出発した。
お母さんは軽い風邪のような症状があったが、割とよく風邪を引く人なのでそう心配していなかった。同居しているCとそのパートナーは元気で、天気もよかったので、庭でお茶をしたり森をお散歩したり、のんびりと楽しい土曜日を過ごした。
そして日曜日の朝、簡易検査をした結果、
Cのお母さんがやっぱり陽性に…!
感染してから陽性となるまでに3〜7日かかるというのは本当だったのだ。
私には今ウイルスをベルリンに持ち帰りたくない理由があった。2週間後に同居人Dとの旅行が控えていて、私がそれまでに快復したとしても、Dにうつしてしまったら飛行機に乗れなくなる可能性があるからだ。
みんなで色々考えたが、やはり私がここにいればいるだけ感染リスクが高まるので、予定していたように月曜日ではなく、日曜日のうちにベルリンに帰った方がよいだろうという結論になった。Cのお母さんが特急列車のチケットを買ってくれ、私は1泊であっという間に帰宅した。
しかし、その高いチケットも、風邪のような症状のあったお母さんとは距離を置いて話していたのも、功を奏さなかったようで、私もその4日後に陽性となってしまったわけである。
ちなみに、Cとそのパートナーも感染していたことが後でわかった。私がCの実家の誰かからウイルスをもらってしまったのはほぼ間違いない。
日曜日の朝にベルリンの同居人Dに電話して事情を話したところ、彼は念のため、私が帰宅する前にベルリン郊外の実家に避難することになった。この即座の判断が正しかったことが、私も陽性となった時に証明されたわけである。
実際の症状
私はすでに3回目のワクチン接種を昨年12月半ばに終えていた。そのおかげか、軽い風邪のような軽症で済んで、病欠ではなく在宅勤務できるくらいの状態だった。
PCR検査で陽性になると、テストセンターから居住地区の保健局に連絡がいき、手紙が郵送されてくる。隔離義務に関する情報や、症状などの詳細をオンラインで提出するようにとの指示が書かれている。
最初の方で書いたように、実際には陽性となる直前くらいが一番体調が悪く、その後は日に日に楽になっていった。初めは微熱と悪寒があったが、私は咳もあまり出なかったし、家で大人しくしている分には問題ない。ちゃんと味覚も食欲もあったので、冷蔵庫の中にあるもので作れる献立を考えては、せっせと料理して食べていた。
ただし、陽性となった翌々日の土曜日、一度また悪化したことがあった。鼻が詰まっていたのでそもそも息苦しくはあったのだが、それだけではなく、深呼吸できない状態になったのだ。
ゼエゼエするわけではなかったが、いくら呼吸しても酸素が体の中に入っていかない感じがして、息が浅くなり、常に空気が薄いような感覚に。コロナに罹ってから初めて、その時はちょっと恐くなった。「このままどんどん息が細くなっていって、救急車を呼ぼうにも住所を言えないような状態になったら、どうしたらいいんだろうか」と。
実際にはソファーに1時間ちょっと横になり、スマホで調べた呼吸法を試したり(「コロナ 息苦しい 対処法」などと検索すると色々ヒットする)、楽な体勢を見つけようとしたりしているうちに、また呼吸が楽になっていった。
この体験をしてから私も慎重になり、体の中のウイルスはまだ生きており、本当に無理は禁物らしいと遅ればせながら実感した。若くて丈夫な体の人でも、心筋炎を起こすこともあるという。
一週間もバレエに行けないので、週末は家でバーレッスンくらいしようと思っていたのだが、寝る前のストレッチだけにとどめておいた。ようやく本当に何の症状もなくなり、様子を見ながらバーレッスンをしてみたのは隔離5日目になってからだ。
5日目と6日目に試しにセルフテストをしてみたところ、まだぼんやりと陽性のラインが出てきた。この線が日毎に薄くなっていくのが面白く、抗原検査キットも想像以上に正確なのかもしれないと感心した。
反省と教訓
7〜10日間の隔離期間中は、もちろん人と会うことは禁止なので、友達との楽しい予定も泣く泣くキャンセルした。せっかく天気も良いのに家にこもっていないといけないのは、私にとってかなり苦痛だった。
しかし、この『コロナ感染事件』で一番のとばっちりをくらったのは、間違いなく同居人Dである。私がベルリンへ戻る直前に実家に避難してから、2週間近く帰宅できなかったのだ。
もちろん家族が陽性となった場合にも同居を続けることは認められているのだが、「休暇前にDにうつすわけにはいかない」というプレッシャーのもと、私の隔離期間中は念のため別居することに。一度Dがアパートまで荷物を取りに来た日があったので、私はドアの前に頼まれた荷物を置き、彼はその代わりに食べ物を置いていってくれた。
更に可哀想なことに、実家のお母さんも体調を崩したので、Dは最終的に弟のワンルームアパートに避難。そしてDに場所を譲った弟は、自分の彼女のシェアハウスに移動することに…。私が感染したせいで玉突きのように家族が移動しなければならず、大変申し訳なかった。
私は7日目の検査で陰性となり、その証明書を保健局にメールして、無事に隔離を終了できました
さて、今回学んだのは、「新型コロナウイルス(オミクロン株)の感染力をナメてはいけない」という教訓。友人宅に1日ちょっと滞在しただけで感染してしまうとは、おそるべし…!
私は普段は同居人や同僚が風邪をひいていてもうつることがなく、免疫力の高さを自慢にしていた。ワクチン接種も3回とも何の副反応もなく拍子抜けしたので、「自分はコロナに対しても強いのだろう」と自惚れていたことを反省している。
また、「感染してから症状が出始めるまでに日数が掛かり、陽性となるまでには更に日数が掛かるので、油断しないこと」。体調の異変を感じたら、その時は陰性であっても、用心深く毎日の検査を続けることが重要だ。
私は幸い軽症で済んだが、それでも仕事とプライベートの予定ともに様々な変更をせねばならず、色々な人に心配と迷惑を掛けた。コロナとの付き合いがあと何年続くのかわからないけれど、これからはリスクが高そうとわかっている場所には行かないこと、マスク着用などの感染防止対策を徹底することも肝に銘じておきたい。
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