ドイツ人とは誰なのか

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ドイツの外国人

このブログでは繰り返し『ドイツ人』について書いている。ドイツ人、と便宜上そう書いているのだが、実際にはカッコ付きにしたいといつも思う。

というのも、ドイツにいる期間が長くなればなるほど、「一体どこまでがドイツ人なのだろう?」と疑問に思うようになるからだ。普通に考えれば、ドイツで生まれ育って、ドイツ語を話して、ゲルマン民族の血筋の人が、典型的なドイツ人だが、実際にはそう単純ではない。

おそらく日本では、「一体どこまでが日本人なのだろう?」とは考えたことがない人が多いと思う。私自身、親戚には日本育ちの日本人しかいないし、学校や会社でも少数の外国人やハーフの人がいるだけの環境で生活してきた(ちなみに私はこの『ハーフ』という言葉も『半端』という含意があるようで好きではないが、便宜上ここでは使用することをご容赦願いたい)。「この人は日本人なのかな?」と考える機会があったとすれば、日本名を取得している韓国・中国の血統の人と知り合ったときくらいだった。

ところがドイツに来てみると、想像以上の多国籍さに驚かされる。アメリカやオーストラリアのような、謂わば移民が作り上げた国とはまた事情が違うだろうが、9カ国と国境を接しているドイツでは、それはもう様々な人が暮らしている。これにはもちろん、EUが保障している移動の自由の影響も大きい。

ドイツで秘書の仕事をしていたとき、一番辛かったのは、上司宛の電話を取って相手の名字をメモしないといけないこと…ドイツ人名はいいけれど、スラブ系・ギリシャ系の長い名前、綴りを言ってもらっても難しすぎる

連邦統計局(Statistisches Bundesamt)によれば、2018年末時点でドイツで暮らす外国人の数は1090万人。ドイツの総人口が8300万人なので、なんと7〜8人に1人が外国人。更に興味深いのは、『ドイツ人』に分類されている人の中でも、「移民の背景あり」のパーセンテージがかなり高いこと。70年代に外国人労働者としてドイツへ移ってきた人々の二世や三世も、多くはここに含まれているはずである。

連邦統計局のHPには、在独外国人の出身国別の数値なども載っていて興味深い。英語に切り替えも可能。
Migration und Integration
Ergebnisse zur Statistik von Migration und Integration. Kennzahlen, Tabellen, Publikationen, Grafiken und weitere Informationen zum Thema Migration und Integrat...

ちなみにこの外国人の労働者、ドイツ語でGastarbeiter(客員労働者)は、Gastprofessor(客員教授)といった用法からも明らかなように、元々は「いつかは帰っていくお客さん」として労働力不足の時期に招かれたのだが、結果的に居着いた人々が多かったのは、ドイツにとって皮肉といえばそうかもしれない。今でも特にトルコ系ドイツ人の存在感はどの街でも大きく、ケバブがドイツの国民食になったことも象徴的である。

『ドイツ人』の友人たち

このブログでドイツ人の友人として紹介しているのも、実は『純粋な』ドイツ人ではない人が多い。フランスとドイツのハーフ、ギリシャとドイツのハーフ、両親ともギリシャ人だが自分はドイツで生まれ育ったのでギリシャ国籍は返上した人など、様々である。

EUだとドイツを含めて二重国籍を認めている国が多いので、ハーフの人はたいてい両方の国籍を保持しているし、血統的な繋がりがなくても、長期的にドイツで働いて税金を納めていれば、ドイツの市民権を取得するのは比較的容易である。ドイツに帰化した日本生まれ日本育ちの友人もいるが、日本は基本的に二重国籍を認めていないので、ドイツ国籍を取得した時点で日本国籍は失って『ドイツ人』になったことになる。

こうしてみると、統計上は『ドイツ人』として数えられる人の中でも、様々な背景があるとよくわかる。以前、日本の外務省から派遣されている方と知り合い、このテーマについて話したことがあった。

僕は日本、または日本国民のために働いているという意識があるんですが、ドイツという国は捉えるのが難しくて…ドイツの外交官の仲間には、「誰の代表として働いているの?」と聞いてみたくなることがあります

確かに『外国人』が総人口の2パーセントしかいない日本と比べると、ドイツの人種的・文化的な多様性というのは目を見張るものがある。従来の移民だけではなく、中東から受け入れた難民がこれからドイツに同化していくとしたら、ますます文化の幅が広がるだろう。

さて、ドイツ以外にもルーツと呼べる国がある友人たちに、「自分はどちらの国の方に近いと思う?」と不躾な質問をしたことがあるが、たいてい「うーん、両方かなぁ」という答えが返ってきた。ただし、メンタリティに関して言えば、もちろん育った国が大きく影響する。

大学院の同級生で、いつも頭にスカーフを巻いているイスラム教徒の女の子がいたが、「両親はトルコ出身だけど、私は生まれ育ったのがドイツで、ドイツ語もネイティブだから、ドイツ人です」とさっぱりしていた。家庭内の文化はトルコの影響が強いだろうが、彼女はドイツの国籍を持っていて、ドイツの教育制度と社会制度の中で育ってきたのだから、当然の意識だと思う。

ドイツ育ちのギリシャ系ドイツ人の友人も、ギリシャ語が母語ながら、「ギリシャの親戚に会いにいくと、やっぱり考え方や振る舞い方がドイツ人らしいみたいで、『外国人』として扱われる」と言っていたのが印象的だった。

母国=母の国?

一方で、ハーフの友人たちから話を聞いているうちに、自分をどの国の人だと認識するのには、ある違う側面が影響するらしいことに気がついた。

お父さんがドイツ人・お母さんがフランス人で、両国を行き来しながら育ったという友人は、ドイツ語・フランス語ともにネイティブだが、「自分はドイツ人というよりフランス人だと思う」とのこと。

やっぱり、子どもはお母さんから受ける影響の方が大きいよね。私もお母さんの国が自分の国だという気がするの

この感覚を裏付けるように、お父さんがフランス人・お母さんがドイツ人の別の友人は、ほとんどフランスで育ったにも関わらず、「自分はフランス人というよりドイツ人だと思う」と言う。確かにご両親に会ってみると、堅実なドイツ人のお母さんから性格的な特徴を受け継いでいることが見て取れた。本人は冗談めかして、

もし第三次世界大戦が勃発したら、僕はフランスじゃなくてドイツのために戦うだろうね

とまで言っていたが、もちろんそんなことは起こらないことを祈ろう…。

ところで、『ドイツ人』の定義と同じくらい、『フランス人』の定義も難しいと思う。私はフランス語を勉強している関係でフランス人の友人が多いのだが、実は1人も『純粋な』フランス人がおらず、ドイツ・イタリア・ペルー・アルジェリアなどのハーフである。フランスはヨーロッパ諸国だけでなく、旧植民地との繋がりも強い。前述の友人のお父さんも、フランス本土ではなく、フランス海外県マルティニーク(カリブ海の島)の出身である。

アイデンティティと国籍

両親や祖父母に外国人がいない限り、日本だと、「自分はどの国の人なのだろう」と考えることはないだろう。そして、自分のアイデンティティ=自分の国籍(日本)、と思うことも普通である。

ところがドイツのように色んな国の人が混ざって暮らしていると、この式は簡単には成立しない。祖父母4人が別々の国の出身、という場合もある。自分がどの国の人か、というのは、結局は自分で考えるしかない。もちろんドイツで育って、この国の国籍を持っているなら、ドイツ人としてのアイデンティティを感じる人が多いだろうし、それが辛うじて『ドイツ人』というまとまりを認識することを可能にしている。

芝生の上でくつろぐ人々
ハイデルベルクのネッカー川沿いは、天気がいいと日光浴する人で溢れる。誰がドイツ人で誰が外国人かは、見ただけではわからない

しかし、自分のアイデンティティと国を結びつける必要は本当にあるのだろうか?私は、そもそも『国』という括りで『人』や『文化』を強制的にカテゴリー分けするのは時代遅れだと思う。「ドイツ人とは誰か」という問題と同じくらい、「ドイツ文化とは何か」という問題は難しい。

極端な話、日本で生まれ育った日本人の私も、もちろん日本で培った価値観が根底にあり、外見はどう見てもアジア人なのだが、むしろ今は『ドイツ人的な』アイデンティティが強いかもしれない。日本でもドイツでもなく、全てが渾然一体となったもの、それが私個人のアイデンティティであり文化なのだと思う。

久しぶりに一時帰国したとき、自分が周りの日本人とは違う『外国人』だという意識が消せなくて、奇妙な感じだった

これだけ流動的な世界で暮らしていると、もはや異文化を発見するのは、国々の間だけではなくて、同じ国・同じ地域・同じ団体・同じ家庭の中でさえある。昨今やたらと教育でも企業でも取り沙汰されている異文化コミュニケーションというのは、異なる文化圏の国々の間というより、個々人の間のものと思った方が良いのではないだろうか。

『ドイツ人』、と便宜的に言ったとき意味されるのは、ドイツ国籍を持っているか、自分がドイツ人だと自覚していて、実際には様々な人種的・文化的背景を持った人々の集合体だということを、忘れずにいたい。

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