アメリカ東海岸
突然だが、先日、アメリカ東海岸をベルリーナー・Dと旅してきた。ハワイしか行ったことがなかった私にとっても、そもそもアメリカに行ったことがなかったDにとっても、目新しいことばかりで刺激的な旅だった。
12日間で巡った都市は、日帰りも含めると、ワシントンD.C.、アレクサンドリア、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンである。
何を見聞きして感じたかを詳しく書き出すと、一冊の本くらいの分量になってしまいそうなので、ここでは「ドイツから行った私の印象に残ったアメリカ」に特化してご紹介したい。日本とは言わずもがな、ドイツと比較しても、アメリカでは様々な驚きがあった。
本題に入る前に、最初に驚いたのは、ドイツから意外に近いこと。例えば、ベルリンからニューヨークまでは直行便で8~9時間。日本行きよりずっと近いし、航空券も安い。
日本が中心になっている平面の世界地図だと、ヨーロッパは左端、アメリカ東海岸は右端にあるので、なんだか遠いように見えてしまいますよね
その昔、多くのドイツ系移民も大西洋を船で渡って新大陸を目指したわけだが、現代の私たちはその上空をひょいっと飛び越えてしまえる。
なお、ヨーロッパからアメリカに飛ぶ際に、直行便の他に人気があるのは、私たちも利用したアイスランド経由。直行便よりも安いし、飛行ルートとしてもあまり遠回りにならない。アイスランド航空だと、追加料金なしでストップオーバーできるということで、数日アイスランドに立ち寄る人も多い(アイスランドの経済にとって欠かせない観光客層のようだ)。
日独の街にはないもの
アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.に着いてから、第一のサプライズ。街中を歩いていると、日本やドイツではほとんど目にしないものを至る所で見掛けた。
それは…国旗。政府関係の建物は言わずもがな、住宅地でも、普通の家の壁や庭に星条旗が掲げられている。
街中で国旗を見掛けると持つ違和感のようなものは、日本人とドイツ人で比較的近いと思う。
日本で普段から日の丸を掲げている家があったら、「右翼なのかな」とどちらかと言えばネガティブに捉えるだろう。自分たちの国が背負っている負の歴史を自覚しているドイツでも、サッカーW杯などの特別な期間は別として、ドイツ国旗を掲げている家は目にしない。
アメリカではこの“遠慮”をまったく感じなかった。市庁舎や駅構内といった公共空間でも、何メートルあるのだろうと見上げるような大きな星条旗が掲げられている。
ワシントンD.C.にはこんなモニュメントもある。ナショナル・モール(国立公園)のワシントン記念塔という巨大なオベリスクの周りには、ぐるっと取り囲むように無数の国旗が翻っている。
アメリカ人は愛国心が非常に強い、というのはよく聞かれる言説である。ばらばらの背景を持った人たちがつくりあげた国だから、一つの国としてまとまるアイデンティティ形成のために、「自分はアメリカ人である」「アメリカこそが自分の国である」という教育がされているのは、自然なことだとも思う。
それにしても、至る所で国旗やそれにまつわる色を見掛けるので、日本人とドイツ人としてはだいぶ面食らってしまった。
フレンドリーさの種類
次に、メンタリティの話。
私は以前何かのSNSにあったアメリカ人女性の投稿で、「彼氏にフラれて泣きはらした目で、カフェでテイクアウトのコーヒーを注文し、女性の店員さんと話していたら、コーヒーをサービスしてくれて、カップに優しい励ましのメッセージも書いてくれた」というのを見て、友達でもないカフェの店員とそんなプライベートな話をするものなのだろうか…と不思議に思っていた。ところが実際にアメリカに行ってみて、ここなら十分にあり得そうだと納得したのだった。
どのレストランやお店に入っても、スタッフが、ドイツから来た私たちにとっては“異様に”フレンドリーで、ちょっと距離が近すぎると戸惑うことも多かった。「元気?」「どこから来たの?」「ベルリンに住んでるんだ、いいねー!」「私もドイツに行ってみたいとずっと思ってて」「趣味でこんなことしててね」と、聞かれるままにこちらも答えていると、ペラペラお喋りが止まらない。
お客である私たちのプライベートな範囲に踏み込むことにも躊躇いがなければ、自分のプライベートな面を話すことにも躊躇いがない。これは、差別と捉えられるのを防ぐため、「どこから来たの?」と出身を聞くことすら避けられる傾向のあるドイツとは大きく違うし、一定の距離を保って礼儀正しく失礼のないようにする日本の接客とも全く違う。
アメリカでは初対面の人ともあらゆる場所で常にスモールトークをするのか…私とDは面食らい、慣れないのでちょっと疲れてしまうこともあった。しかしアメリカの人達にとってはこれが日常なのだろう、みんなフレンドリーでポジティブなエネルギーを放出しているように見えた。
一方で、このフレンドリーさも、長期的にアメリカで人間関係を築こうとすると、一種のバリアになる場合があるようだ。私の友人に、大学卒業後に数年間アメリカで暮らしていたドイツ人がいる。彼女がドイツに一時帰国していたとき、「アメリカ生活はどう?」と聞いたことがあったが、友達作りがなかなか難しいというので意外だった。
うーん、みんなドイツ人と比べて確かにフレンドリーだけど、どこか表面的なんだよね。「元気?」ってお互いに聞くけど、本当に答えを求めている感じではないの。ドイツだったらちゃんと自分の状態を答えて、相手にも聞くでしょ。「今度うちに遊びにおいでよ」って言ってもらうこともあるけど、単なる社交辞令なのかわからないところがあって。ドイツだったら本当に誘われているんだと思えるんだけど
という。アメリカ式の全面的なフレンドリーさに慣れて、その先にある本心を読み取れるようになるまでには、時間が掛かるのかもしれない。
私とDはといえば、元々アメリカ東海岸に知り合いはいなかったのだが、私のドイツ人の友人がニューヨークにアメリカ人の友達2人がいるというのでコンタクトを繋いでくれ、彼らのアパートに泊めてもらうことができた。友人の友人とはいえ、初対面の人を快く泊めてくれるのも、日本ではなかなか考えられないかもしれない。
彼らとは何度か一緒に食事にも出掛け、結果的に私たちも本当に友達になれたのだが、レストランでも毎回「こちらはドイツから来た僕らの友達。ベルリン出身のDと、日本出身のAkiだよ。二人ともニューヨークは初めてでね…」と店員に丁寧に紹介してくれたので、「もうきっと会うことがない店員さんに紹介してもらわなくても」と恥ずかしいような不思議な気持ちになったのだった。
入国審査官のおじさん
最後に、実際にはアメリカに到着して最初にあったサプライズについて紹介したい。
私もDもアメリカ本土に入国するのが初めてだったので、ワシントン・ダレス国際空港では少し緊張していた。入国審査の列に並びつつ、「事前申請したESTA(電子ビザのようなもの)の番号はこれだね」「滞在先の住所を聞かれたら、この住所を言おうね」と二人で確認し合っていた。
私たちの順番がやってきて、向かったカウンターにいた審査官は中年の男性で、お互い挨拶はしたもののニコリともされなかった。ドイツから渡航してきたアジア人の私とヨーロッパ人のDのパスポートを受け取りつつ、聞いてきたのは、「君たち、どういう関係?」。
カップルです、と答えると、「結婚してるの?」と聞かれた。していません、と答えると、私に向かって、「ということは、配偶者としてじゃなくて、仕事でビザをもらってドイツで暮らしているんだね」という。そうです、と私は答えつつも、ずいぶん細かいことまで聞かれるなぁと驚いていた。
「何の仕事をしているの?」と聞かれたので答えると、「仕事を通じて彼(D)と知り合ったの?」という。いいえ違います、と答えると、「じゃあどうやって知り合ったの?」と更に聞かれたので、どうしてそんなプライベートなことまで入国審査で話さないといけないのか…と流石に怪訝に思い始めた。
そういう会話をしつつも、審査官のおじさんは必要な情報を機械に入力して手続きを進めていたのだが、私がカメラに顔を向けて写真を撮る段階になって、突如こう言った。
メガネ、トッテネ
それが流暢な日本語だったので、私は目をパチクリさせた。「え、日本語話せるんですか?」と日本語で返すと、やはり日本語で、「勉強中。日本大好きなんだ。いつか行きたくてね」と笑顔を見せた。
それからDに向かって英語で、「君は自分がなんて幸運なのかわかっているかな、日本人の彼女がいるなんて」という。Dは面食らいつつも、「そうですね、毎年日本に行く機会もあるし、僕も本当に幸運だと思ってます」という。それからしばらく日本の話になった。
顔写真を撮った後に指紋を取る段になったが、私が機器に指を置いてもなかなかうまく読み込まれない。そこでおじさんにまた日本語で、
すごい乾燥肌だねー
と言われ、そんな単語まで知っているんですかと私は思わず大笑いしてしまった。
いつか日本に行けるといいですね、君たちもアメリカ滞在楽しんでね、と審査官のおじさんとお互いに幸運を祈りつつ別れて、私たちは無事アメリカに入国したのだった。
緊張していたところ拍子抜けだったが、Dは、「僕たちがどうやって知り合ったのかなんてどうして聞くんだろうと思ったけど、なんだ、あのおじさん、自分も日本人の彼女がほしかっただけみたいだね…」とにやり。
ありがたいことに、日本によいイメージを持ってくれている人は世界中にいて、ドイツでも「日本大好き!」と公言する親日家と知り合うことが度々ある。それでも、私たちがアメリカに降り立って最初に会話したのが、超親日家の入管のおじさんだったことは、これからもずっと記憶に残りそうである。
私にとっても“新大陸”だったアメリカ、どきどきしていましたが、優しい人たちと何人も出会いました。ミュージアムやシアター、建築も素晴らしくて、またぜひ行きたい国の一つです
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