イギリスという初恋、ドイツという選択⑤:後日談

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イギリス経由・ドイツ着の日本人

私がドイツ移住に至るまでの道のりについて、順を追って①〜④の記事にしてきたが、私のような人は意外に多いようである。憧れの国はイギリスだったが、気が付けばドイツに落ち着いたという日本人と、不思議なことにこれまで何人も知り合った。

前に勤めていたベルリンの語学学校では、ワーキングホリデー制度を利用して滞在中の20代後半の日本人が多かった。どうしてドイツを選んだのか興味本位で何人かに聞いてみたところ、なんと「イギリスの代わり」だという。 

イギリスのワーホリビザには定員があって、抽選に当たらなかったんです。ドイツなら定員がないし、ベルリンは英語も通じそうだと思って

そのため、せっかくドイツにいるのに、語学学校で受けているのは英語の授業だけという場合もあった。イギリスにもワーホリで行っていたが、またヨーロッパで暮らしてみたいとドイツで二度目のワーホリをしている人もいた(EUを離脱したイギリスからすれば、ドイツと同じ括りにしないでほしい、と思われるかもしれないが…)。 

こういった「第一候補はイギリス、第二候補がドイツ」だった日本人も、たいてい口を揃えて言うのは「ドイツは住みやすい」ということであり、最初は短期で来たところ気に入ったので、また舞い戻ってきたという人も多い。

バックパックでヨーロッパを旅行中にドイツパンの美味しさに目覚めたことがきっかけで、数年後に引っ越してきたという友人もその一人だ。彼女も「初恋はイギリスだったけど、本命はドイツだね」と、ドイツへの愛を語りだすと止まらない人である。

ワーホリ等で外国語を身につけたいと思うなら、英語が普遍語としての地位を得ているこの時代、行先としてまず英語圏を思い浮かべるのは当然と言えば当然である。ドイツ、少なくともベルリンでは確かに比較的英語が通じるが、自力で不自由なく暮らそうと思えばやはりドイツ語は避けて通れない。この(英語と比べて)複雑な文法を持つ言語の勉強を覚悟してまで、ここで長期で暮らしたいと思わせるというのは、やはりドイツにはそれだけの魅力があるのだろう。

真ん中にピンクの線が入った小さなチケット
ベルリンで前に住んでいたアパートの近くにあったレトロな映画館のチケット。当然ながらすべてドイツ語

イギリスとドイツはある意味では真逆なのかもしれない、という気も個人的にはしている。伝統や歴史を重んじて、古ければ古いほど良い、というイギリスと、(暗い歴史があるからこそ)過去から学びつつ、新しいものや異なるものも進んで受け入れようとするドイツ。私は今でもイギリスの文化やファッションが大好きだし、旅行に行くことはあるが、住みやすいと思うのは、華やかさはないけれど寛容なドイツである。

住みやすさ」とは、他のヨーロッパ諸国と比べて物価が高くなかったり、社会保障がしっかりしていたり、治安が良かったり、外国人であるために差別に遭うことが少なかったりと、様々な要素から成っているが、誰かに恋をするときと同じく、「好き」という気持ちは最終的には言葉では説明できないものでもある。 

もちろん、短期・長期にかかわらず期限付きでドイツで暮らすのと、無期限で暮らすのでは、気持ちの面でも将来設計の面でも色々と変わってくる。長くいればいるほど大事になってくるのは、人付き合いだと思う。いくら言葉や文化が好きであっても、仲間や友達がいなければ楽しい生活というものは想像が難しい。私の周りを見渡しても、ドイツに“馴染んだ”、もしくは“居着いた”のは、こちらで人脈をうまく築いた人達である。

海外在住の意義

ドイツで暮らしていることに満足しつつも、外国人である私がここにいる意義は何か、という疑問は、大学院生の頃から度々頭に浮かぶようになった。国公立大学で何年間も質の高い教育を受け、ドイツ人と同じく学費も無料(当時)で、学生として様々な優遇や割引を受けながら生活していた。大学の学生スタッフなどのアルバイトも、税金控除の枠内でしていたので、そのまま自分の生活費にできた。

寛容なドイツという国にここまでしてもらっても、私には返せるものがあるのだろうか。いくら長くドイツで暮らして、それなりに言葉も話せるようになっても、結局のところ自分は外国人である。誰かの家に好意で長く居候させてもらっているような、どこか肩身の狭い思いがあった。

結婚相手がドイツ人で、半ば仕方なくこちらで暮らしている日本人も何人も知っているが、独身の私の場合は純粋に自分に選択である。というより、実はハイデルベルク時代に何年も付き合っていた東欧出身の男性がいて、故国に帰る準備をしていた彼について行くという選択肢もあったのだが、私はドイツを離れる決心がつかずに別の道を選んだので、そのくらい自分の中の『ドイツという選択』は確固たるものだった。

今でこそドイツ人と同じ高い税金を納め、日独関係のために存在する機関で働いているので、「私がここにいる意義は何か」という疑問には一応の答えが出たかたちである。ドイツの社会の一員として、日本人の私にしかできない仕事をしているという自信が生まれたからだ。このブログも、草の根で日独理解を深められるきっかけになれば、と思って細々と続けている。

日本人としての意識

ところで、外国人の割合が高いドイツでは、私のように明らかに見た目が違っても、「出身国は?」と聞かれることが驚くほど少ない。歴史上の反省から、国籍や人種で人を判断することに生理的な抵抗がある人が多いのかもしれないし、単に出身はあまり重要なことではないと思っているのかもしれない。

例えば今のバレエ教室にもう2年くらい通っていますが、「レッスンはドイツ語で大丈夫?」と初めて会う先生に聞かれることはあっても、「どこの出身?」と聞かれたことは、先生からも仲間からも一度もありません

どちらにしても、自分が日本人であると明言することは意外に多くないのだが、時々あるそういった機会では、自分が親善大使のような役割を担っているという意識を少しだけ持つようにしている。相手からすれば、私が初めてちゃんと言葉を交わした日本人かもしれないし、私がかつてイギリスでドイツ人と知り合ったように、私を通して日本に対するイメージを築いていったり、日本についてもっと知りたいと思ってもらったりするきっかけになるかもしれない。

外国人としてドイツで暮らす意義と並んで、日本人として外国で暮らす意義を考えるとするなら、それとして意識さえしないような、こういった『国際交流』の機会を現地の人に提供することだと思う。私と知り合ったドイツ人が、日本に対してよいイメージを持ってくれたなら、ごく僅かでも日独関係のために間接的に貢献したことになる。 

ベルリンの壁の一部に描かれた富士山と五重塔
有名なイーストサイドギャラリー(ベルリンの壁)には、『日本地区への迂回路』という壁画がある。日本に憧れているドイツ人も多い

これから外国で生活する予定のある方がこのブログを読んでくれていたら、私自身の反省から、ぜひ日本についてなるべく勉強してから渡航することをお勧めしたい。現地人や他の外国人の輪の中で唯一の日本人になると、“日本人代表”として日本についての質問を浴びせられ、何も答えられないとそれなりに恥ずかしい思いをする。都市の人口、伝統芸能、料理、年金制度、アニメ、歴史、皇室など、考えられる質問は多岐に渡るが、日頃から雑学的な知識を増やしておいて損はない。

後日談

さて、私がイギリスを経てドイツへ流れ着いた経緯を整理していったところ、自分の半生について書いたような長い記事シリーズになってしまったが、最後におまけの話を。

東京の高校で私と同学年だったという女性が偶然このブログを読んで、メッセージをくれた。クラスが違ったので面識はなかったのだが、彼女の方は私のことを覚えていてくれた。というのは、イギリスから帰国した後に先生方の提案で、留学中の経験について生徒みんなの前で発表したことがあったのだ。

今思えば、私がイギリスで経験したのはそこまで大袈裟なものではなかったが、その時は人種差別をテーマに発表した。「この部屋、アジア人のにおいがする」と言われた私のエピソードなどに衝撃を受け、その時は納得できなかったそうだが、大人になって海外旅行するようになるとアジア人であるために不当な扱いをされ、今度は実感として思い出したのだという。自分が外国人として扱われる、という経験は、良くも悪くも世界観を変えるものだ。現在は日本で観光関係のお仕事をされ、外国人に接することも多いとのことである。

それが心地よい記憶ではなかったとしても、自分の経験を他の人と分かち合うことで、何かしら新たな気付きを与えることができたとしたら、こんなに嬉しいことはない。

私自身が忘れかけていた発表内容を覚えていてくれた人がいたこと、そして十数年後に国をまたいで連絡をもらうことがあるなんて…!

いつも見切り発車な生き方をしてきた私だが、振り返って思うのは「何とかしようと思えば何とかなる」ことである。仕事を探すのにとりあえず身一つでベルリンへ引っ越すと決めた時、ハイデルベルクで知り合った大学教授がこのように言ってくれた。「大丈夫、あなたが向かう方に道ができていきます」。

そう、誰かが既に踏み固めた道を探して辿るのではなく、大変であっても、自分で道を作っていけばどこでも好きな場所に行ける。出願時期を過ぎているのに入学させてくれたハイデルベルク大学と同様、私の現在の仕事も、実は前例のない特別な採用だった。不可能であるはずのことが、諦めずに粘れば可能になることもある。

国境が開かれたこの時代、第二の故郷は自分で選択できる。ドイツに受け入れてもらえたことに感謝しながら、日本のことも忘れずに、ドイツから情報を発信し続けていきたい。

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