イギリスという初恋、ドイツという選択④:ドイツ移住編

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ドイツ企業に就職

さて、1年間のドイツ留学から戻り、東京の大学に復学したが、「将来的にはドイツで暮らしたい」という目標が自分の中ではっきりとしていた。イギリスとは異なり、ドイツは長くいればいるほど面白く、居心地もよくなる予感があった。

そうはいっても、大学卒業後にいきなり渡独して仕事を探すのは現実的ではないと思ったのと、日本で職業的な経験を積むのも将来役に立つだろうと考え、まず日本で就職することにした。

外資系企業を狙って就職活動をしたところ、幸い大手のドイツ企業の日本法人に新卒で採用された。語学力を見込まれてのことで、面接も面接官に合わせて日本語・英語・ドイツ語で受け答えしたので、イギリスとドイツへの留学経験は実際に役に立ったわけである。

そして数年間の会社員生活を送る中で、英語しか話さないオーストラリア人役員の秘書となった。

オーストラリア訛りが強く、アメリカ英語に慣れている日本人は聞き取りに苦労していましたが、イギリス英語と単語が近いので私は割と大丈夫でした

同じ部署にはドイツ人も多かったし、担当の役員がほぼ毎月行っていたドイツ本社への出張手配や旅費精算も私がしていたので(ドイツ語の領収書などを読まないといけない)、ドイツ語を使う機会があるのも嬉しかった。「私もドイツへ行きたい」と言い続けているうちに、特別に本社に送り出してもらい、3ヶ月間の秘書トレーニングを積ませてもらうこともできた。

青く見える丸い池が3つあり、遊歩道で囲まれている
ドイツ滞在中に、大規模な開発拠点がオープンしたというので、ドイツ人の同僚(なんと留学時代の友人が同じ会社に転職していた)が案内してくれた。池を取り囲んでオフィスやラボ、食堂が立ち並んでいる

移住を決意

ドイツ企業らしく有給休暇は100%取得が奨励されていたので、会社員時代も数週間まとめて休んでは毎年ドイツへ遊びに行っていた。仕事は面白く、上司や同僚にも恵まれていたのだが、「ドイツで暮らしたい」という気持ちが薄れたわけではなかった。

就職時には「あわよくばドイツ本社に転籍できないか」と思っていたのだが、私の職種上それが難しいことがはっきりしてきたので、4年目が終わる頃に退職してドイツに引っ越すことに決めた。

何も決まっていない状態で身一つで引っ越すとは、突拍子がないと映ったのだろう、周りには驚かれたが、自分にとっては自然な流れだった。今度は無期限での移住になると決意していたので、各社会保障からも脱退し、市役所に海外転出届を出して、日本から住民票がなくなった。

日本の家族の反応はと言えば、もちろん寂しがってはくれたが、こうと決めたら突き進んでしまう私の意志の固さは、14~15歳にしてイギリス留学の手配を自分で進めた頃からよく知っているので、止めても無駄だと諦めたようである。

夕闇が迫る中で、海の向こうに浮かび上がる富士山
ドイツへ発つ少し前に家族と泊まった、富士山が見えるホテルにて

なぜ日本を離れる決心がついたのか、と聞かれると、言葉ではっきり説明することは難しい。周りに合わせることを強いられる日本の社会がどこか肌に合わないと、子どもの頃から感付いていたのもある。イギリス留学時代から支え合ってきた親友Hが若くして急死し、自分を日本に繋ぎ止めるものが少なくなったのもある。留学中にできた友人達が、「早くドイツへ戻ってきなよ」と待ってくれていたのもある。

全てを捨てて飛び出したいほど日本が嫌だった、というわけではない。ただ、高校留学以来、日本を“外から”見るようになるにつれて、子どもの頃から抱いていた違和感がどんどん強くなっていった。イギリスやドイツをはじめ、大学生・会社員時代に20ヵ国以上を旅する中で、日本ももっとこうだったら良いのに、というイメージを持つようになった。しかし日本を変えるために奮闘する気概まではなかった私は、自己本位かもしれないが、もっと自分に合っている国に移動するという選択をした。

それではドイツの何にそんなに惹かれたのか、と聞かれると、やはり感覚的なものでしかないのだが、間違いなくあったのは好奇心である。思えば子どもの頃から私を突き動かしてきたのは、見たことないものを見てみたい、知らないことを知りたい、という好奇心だった。そして日本の大学でドイツ語を選んだ時点から、ドイツの言葉と文化は私にとって探求の対象となった。現地にいれば毎日刺激があるし、いくら長く住んでいても知らないことというのは無限にあるものだ。

また、周りの人が何をしていようと気にしない、ドイツの自由な雰囲気も居心地が良かった。ここでは「周りと違うことは普通」であって、無理に合わせなくて良いので、(そもそも外国人として常に少数派の)私にとっては息をしやすい環境である。

ドイツ入国後の関門

涙ながらに退職し、日本の友達にも一通り挨拶を済ませた翌月には、再びハイデルベルクで暮らし始めた。2016年2月のことである。まだ留学時代の友人知人がいたので、とりあえず住む場所には困らなかった。会社員時代に節約し、数年間は仕事をせずに暮らせるだけのお金も貯めてあった。

しかし問題は滞在許可、いわゆるビザである。日本では(ワーキングホリデーを除き)ドイツの滞在許可を申請できないので、長期で滞在する場合には、入国後90日間以内に現地の外国人局から何かしらの目的で滞在許可を発行してもらう必要がある。

私は渡独後しばらくは仕事を探していたのだが、再び歴史ある大学街に来てみると、「大学院に通うのもいいな」と好奇心がうずくようになった。私の日本の学位は学士(B.A.)としてドイツでも認められるので、修士(M.A.)課程に入る要件は満たしているし、大学入学に必要なドイツ語能力試験(DSH)も留学時代にパスしていた。

しかし思いたった時には既に3月。ドイツの大学は、学部にもよるが、夏学期開始の4月と、冬学期開始の10月に入学のチャンスがある。

4月入学に間に合えば学生ビザを申請できるけれど、それを逃したらビザなしで滞在できる90日を過ぎてしまう…!

出願時期がとっくに過ぎているのは承知の上で、とりあえずハイデルベルク大学の外国人学生課に「4月から修士課程に入りたいのですが」と相談に行ってみるも、「出願受付は去年11月に締め切っています」とバッサリ断れる。しかし、学部生時代にもハイデルベルク大学に1年間在籍していたことを話したところ、「入学を希望する学部と直接交渉してみる価値はあるかもしれません」と言われた。

ドイツの大学には日本のような入学試験はなく、書類審査だけである。そこで出願書類を志望学部の事務所に持ち込んで相談すると、まだ学籍数に余裕があったのだろう、「審査します」と特別に受け取ってくれた!

それからしばらくしても音沙汰がないので、何度かメールなどで催促し、最終的には学期が始まる直前の週に、「入学を許可します。入学許可証や学生証の発行などは間に合わないので、後から郵送しますが、とりあえず初日のオリエンテーションから参加してもらって結構です」というメールが届いた。

綱渡りだったが、晴れて再びハイデルベルク大学の学生となり、学生ビザも取得し、そこから3年間の大学院生活を送ることになった。私は在学中に30歳の誕生日を迎えたが、ドイツの大学は様々な年齢の人が集まっているので、同年代や更に年上の仲間も意外に多かった。

私が専攻したのは「文化比較研究としてのドイツ学(Germanistik im Kulturvergleich)」のうち、比較文学である。そこで自分の無知を思い知らされ、必死に勉強することになった様子は、他の記事でも記したとおりだ。

卒業後の関門

大変な思いをしながらも、修士課程で学ぶことは面白く、ある意味で初めて「勉強したい」と思って勉強していた。それまでの人生では、中学校を出れば高校、高校を出れば大学…と、他の選択肢がなかったので惰性で勉強を続けていた面があるが、しばらく会社員生活を経験してから自分の意思で学生に戻ると、勉強することに対して意識的・意欲的になるのを感じた。

約90ページの修士論文の執筆と口頭試問をドイツ語で乗り越え、修士号を取得したときの達成感は、そうそう経験できないものだった。

角帽を被って卒業証書を手にした、おもちゃのアヒル
ハイデルベルク大学のグッズの一つ、かわいいアヒル

さて、大学院を出た後の次の目標は就職だったが、滞在許可という問題は付きまとう。介護など人手不足の分野や高度に専門的な分野を除いては、雇用主が「(ドイツ人ではなく)この外国人をどうしても採用する必要がある」という理由付けをできないと、外国人局も労働局も滞在許可・労働許可を出してくれないので、実はどんな仕事でもOKというわけではない。例えば日本人にとっては、母語レベルの日本語が必要になる仕事などがわかりやすい。 

しかしドイツとしても、せっかく教育を施した人材にはここに留まって働いてほしいと思うことは当然である。ドイツで学位を取得すると、最長1年半の「職探し用滞在許可」を申請できる。私は修士号取得後、そもそも大学街ハイデルベルクでは求人が少ないので、ベルリンに移ってこの期間中に就職活動をし、無事に「就労用の滞在許可」に切り替えることができた。

 2021年7月現在の決まりでは、ドイツで学位を取得している外国人は、2年間合法的に就労していれば定住権を申請できる(学位なしの場合は5年間)。私も今年中に定住権を取得できる見込みなので、ようやく本当にドイツへ移住した実感がわきそうだ。 

さて、ここまで、高校時代のイギリス留学を経て、ドイツ移住に至るまでの流れをシリーズでまとめてみた。最後となる次の記事では、今振り返ってみて気がつくこと、外国で暮らす日本人として意識していることなど、後日談のようなものを記してみたい。

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