イギリスという初恋、ドイツという選択:③ドイツ留学編

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高校留学後の進路

前回の記事では、1年間のイギリス留学中にドイツ人と親しくなり、初めてドイツを訪れた経緯を記した。そして帰国後に東京の高校に復学しても、のんびりしている暇はなかった。

「1年生の後半からやり直した方がよいのでは」という先生方の声を押し切り、留学中の単位を振り替えてもらって、そのまま2年生の後半に進級したので、すぐに大学受験を考えなければならなかった。もともと外国文学が好きで外国語に興味があったため、東京外国語大学に進学したいとは中学生の頃から漠然と思っていた。

しかし、27もある言語(現在は28言語)から何を専攻語として選択するか。すぐに頭に浮かんだのは「ドイツ語」だった。もちろん英語という選択肢もあったが、イギリスという初恋が終わった状態の私にとっては、まったく新しい言語を始めて新しい世界に触れるという魅力の方が大きかった。そしてイギリスで知り合ったCとその家族がいるドイツには親近感があり、ドイツ語は自分に向いているような直感もあった。

目標が決まってからは、自分で言うのも僭越ながら、寝る間も惜しんでよく勉強した。イギリスにいた1年間、日本のカリキュラムからすっかり抜けてしまったので、帰国してみると授業が(英語以外は)さっぱり理解できなくなっていたのだが、とりあえず高校には通い、夜は家で1年分の教科書を自分で学び直す毎日が始まった。

国立大学を目指すということは受験科目も多い。塾に通っていなかった私は、ひたすら家で教科書を読み込んで問題を解き、理解できない部分は翌日の昼休みや放課後に高校の先生をつかまえて教えてもらう、という安上がりな戦法を取ったが、徐々に独学での理解が高校での授業内容に追いつき、3年生に上がる頃には成績も元通りになった。そのまま受験勉強に突入し、晴れて希望のドイツ語専攻に合格した。

色づいた木がぽつぽつと並び、円形の歩道橋に囲まれた広場
ある秋の朝、東京外国語大学のひっそりとした円形広場

ドイツ語を専攻

しかし、ドイツ語をABC(アー・ベー・ツェー)から学び初めてみると、名詞に文法上の性別があることをはじめ、「なんでこんなに難しいんだろう」と頭を抱えたくなることも多かった。

フォーク(Gabel)は女性、スプーン(Löffel)は男性、ナイフ(Messer)は中性名詞…規則性はなく覚えるしかない

それでも最初の直感は正しかったらしく、その難しさも段々と面白くなっていった。私の大学では徹底的に語学を叩き込まれるうえ、試験の成績が悪いと進級できないことも稀ではない。「受験生の時より今の方が勉強しているかも…」という同期もいた。

同期の仲間に聞くと、他の外国語ではなくドイツ語を専攻した理由というのは様々だった。クラシック音楽が好き、ドイツオペラが好き、ドイツパンが好き、ドイツ文学が好き…。ドイツ語自体というよりは、ドイツ文化の何かに惹かれて、そこで使われている言葉を習い始めた、という場合が多いようだ。

東京外国語大学ではほとんどの人が在学中に留学する。私も多分に漏れずドイツ留学したいと思うようになっていたものの、次は自分の力で行くという約束を両親としていたので、勉強と部活の合間を縫ってアルバイトをしてお金を貯めた。英語を使うアルバイトが主だったので、その意味でもイギリス留学経験は無駄にはならなかった。

大学では副専攻語として英語を続けていただけだったが、私の一番の親友となったイギリス留学仲間のHは、国際基督教大学に進学し、私より英語を駆使した学生生活を送っていたと思う。

他の国とはいえ、私がまた留学しようとしていることに、Hは感心していた。一人で世界一周旅行をするなど、私などよりよほどバイタリティがありそうな人だったが、イギリスに行ってみて長期留学には懲りた様子だった。Hとは「イギリス留学の意義はなんだったのだろう」という話をよくしていたが、私はイギリス留学で残ったモヤモヤした気持ちを、少なくとも消化、あわよくば昇華させたいと思うようになっていたのだった。

後に私がドイツへ発つときも帰ってくるときも空港まで来てくれたHには、留学生活を追体験してもらえたらと思い、ドイツで毎日欠かさず書いていた日記を1~2ヶ月ごとにエアメールで送ったのも懐かしい思い出である。

ドイツ留学の決め手

さて、結果的には3年生の秋から1年間休学し、協定校ではないハイデルベルク大学に留学したが、それには理由が2つあった。

まず、休学留学の方が費用が掛からなかった。東京外国語大学は複数のドイツの大学と協定関係を結んでおり、交換留学生として派遣される場合には、双方の大学のサポートを受けられて色々と安心である。しかし、派遣先での支払い義務がない代わりに、留学期間中も東京で学費を納めることになっていた。

実はドイツの国公立大学は基本的に学費が無料である。そのため日本の大学を休学して(その間の学費はかからない)、自力でドイツの大学に入学した方が安上がりだった。

近年はドイツの高等教育機関も財政難で、州によっては学費が導入されたり、EU外からの留学生だけは学費を納めるように変わってきました。それでも日本と比べれば大した額ではありません

次に、なるべく知り合いのいない場所で自分を試してみようと思った。各協定校へは毎年数名ずつ派遣されるので、日本の大学の仲間と顔を合わせることになる。他にも協定校ではないボーフム大学にも出願して入学許可が出ていたのだが、ここにはイギリス時代の友人Cが通っていたので、つい頼ってしまうのが目に見えていた。

ハイデルベルクには行ったこともなければ知り合いもいなかったが、どのドイツ人に聞いても「美しく歴史的な街並み」「名門大学」「ちょっと京都みたいな感じ」とお勧めされるので(実際にハイデルベルク大学と京都大学は緊密な協定関係にある)、出願してみることにした。

青空の下、山と川の前に広がる可愛らしい街並み
ハイデルベルク城の庭から見下ろした旧市街。評判を裏切らない美しさ

出願手続きなどの詳細は割愛するが、最終的にはハイデルベルク大学からも入学許可が届き、私は交換留学生ではなく通常の学生としてB.A.(学士)課程に入学した。つまり、その気があればハイデルベルク大学で学位取得を目指すこともできたのだが、それには最低でも3年間必要。私はまず日本の大学を卒業したかったので、1年後には除籍して帰国した。

成功と呼べる留学

ハイデルベルク大学での1年間は、イギリスの生活とは打って変わって楽しかった。今振り返れば大変なことも多々あったのだが、「日本とは勝手が違い、思い通りにならないことが普通」と打たれ強くなっていたので、その時はさほど大変と感じることはなかった。

そもそも自力で休学留学しようと思えたのも、既に留学経験が一度あったのと、何かあればイギリス時代の友人Cとその家族がいてくれるという安心感も大きかった。実際にはハイデルベルクで友達に恵まれ、家もドイツ人学生3人とルームシェアしていたので、頻繁にCの一家を頼ることはなく済んだ。

人生における多くの経験と同じように、留学も「成功」「失敗」と簡単に括れるわけではない。「楽しかった」とは思っても、期待していたほど語学力が向上していないこともあるだろうし、逆に「楽しくなかった」とは思っても、その後の人生で大いに役に立つ経験をしたかもしれない。

それでも敢えて言うならば、私のドイツ留学は成功だったと思う。C1(上級レベル)に合格できるまでドイツ語力が伸びたし、何よりイギリス留学での反省点を活かして、自分の態度や行動の改善に取り組めたからである。

イギリスでは現地の友達ができなかったことを、イギリス人の気質のせいのように以前の記事でも書いてしまったが、もちろん私にも問題がなかったわけではない。元々どちらかと言えば大人しい性格のため、当時は「やるかやらないか迷ったらやらない」傾向があった。例えば面白そうなイベントがあっても、場所が遠いとか、一緒に行く人がいないとか、何か引っかかる部分があると行くのを止めてしまったのである。

日本に帰ってからイギリス留学を振り返る度に、もっとできることがあったとしたら何か…と考え続けていた。結論としては、「やるかやらないか迷ったらやってみる」方がよかったな、と気がついた。それをドイツでは実践したのである。

例えばドイツ人の友達に、「いつか実家に泊まりにおいでよ、ここから遠いし何もないところだけど」と言われたので、「じゃあ本当に行っていい?」と彼女の帰省中にお邪魔した。

遊びにおいでよ、とは大学の友達によく言うし、もちろん本当にそう思ってるんだけど、実際に来たのはAkiが初めてだわ

と友達は笑っていたが、その姿勢のおかげもあってか、「どうやったら友達ができるんだろう」と思い悩んだイギリス時代が嘘のように、ドイツでは友達が次々と自然にできた

ドイツ人とアフリカ出身の友達と肩を組んでいる写真
ハイデルベルクのシンボルの一つ、橋塔の前で友達2人と

留学生が多いハイデルベルクでは、自分が外国人であるために卑屈になることもなかった。差別的な言動に遭ったことが皆無というわけではないが、友達がいたおかげか気にならずに済んだ。例えばある外国人学生向けのゼミで、先生から明らかに不当な扱いを受けていたのだが(私が唯一のアジア人で、何をしても評価されず批判された)、ゼミ仲間のアメリカ人学生が庇ってくれたり、ドイツ人の友達が励ましてくれたりした。逆に授業態度が真面目な私を特に評価し可愛がってくれた先生もいた。

日本人であることが不利になることもあれば、もちろん有利になることもある。ドイツには日本好きな人がたくさんいて、日本人だというだけで「友達になりたい」と思ってくれるキッカケになる。天邪鬼な私は、「日本人だというだけで近付いてこられるのは嫌だな」とも思っていたのだが、本当に仲良くなれるかはもちろん人間的な相性にかかっている。

そもそも国籍を気にしない人もいて、ハイデルベルクで一番仲良くなったドイツ人の友達は当初、私がどの国の出身だったか時々忘れかけていたが、そのくらい日本人ではなく個人として私を見てくれていたのである。

教会のように荘厳で美しい講堂に並んで座った参加者
ハイデルベルク大学の立派な講堂。可愛がってくれていた教授に呼ばれ、特別に参加した学会にて

仮にこのドイツ留学を「成功」と呼ぶならば、イギリス留学が「失敗」だったのかと言えばそうではなく、私にとってはドイツ留学のために必要不可欠な準備だったことが、後から振り返ると実感された。それが私のイギリス留学の意義としてすとんと胸に落ちた。月並みな表現だが、人生に無駄な経験はなし、というのは真実なのだろう。

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