ベルリン研修旅行③:街の一部になった記念碑

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沈黙の英雄たち

前日の強制収容所の印象が頭に残る中、研修旅行3日目は、ベルリン市内で記念館と記念碑巡り。午前中に訪れたのは、Stille Helden(沈黙の英雄たち)とDeutscher Widerstand(ドイツ抵抗運動)記念館。両方とも国防相と同じ建物の中にあり、無料で見学できる。

ドイツ抵抗記念館
写真や映像資料が豊富で、わかりやすい展示

私達がドイツ人ガイドさんに詳しく説明してもらったのは、沈黙の英雄たち記念館。ヒトラーの暗殺計画など、有名な抵抗運動ではなく、秘密裏にユダヤ人をかくまい援助したドイツ人達にスポットを当てている。一人のユダヤ人の世話をするには、複数名の協力と信頼が必要だった。もちろん見つかればかくまった人達も処罰されるので、命懸けの勇気ある行動である。

詳しいエピソードはここでは書かないが、特に印象に残ったのは、「ユダヤ人をかくまった、つまりナチスに抵抗していた人達は、戦後もそのことを公に言えなかった」という話。なぜかというと、ドイツ国民の大半は間接的にであってもナチスに同調していたので、「私はあなた達と違って反対してたんだ」と言うことで、その大半の人々に罪悪感を呼び起こし傷つけてしまうことを恐れたから。『沈黙の英雄たち』という名前は、もちろんナチス支配下で静かに抵抗していたことに由来しているが、戦後も長い間沈黙を守っていたわけである。

この記念館はもともとベルリンのミッテ地区にあったが、2018年にドイツ抵抗記念館の上の階に引っ越してきた。まるで物語るように、紹介されている人物の生涯を説明してくれるガイドさんが素晴らしかった。

記念碑ツアー

午後は3時間かけて4つの記念碑を巡るガイドツアー。ベルリンの街中には色々な記念碑、それもかなり大規模なものもあり、街の一部になっている。面白いのは、どれもが芸術作品として構想されていること。

日本のガイドブックにも載っていて、一番有名なのは、『虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑』(Denkmal für die ermordeten Juden Europas)、通称ホロコースト記念碑。

ホロコースト記念碑
だだっ広い土地に、コンクリート製の石が並ぶ

ブランデンブルク門の近くなので、観光地巡りをしていたら偶然通りかかった、という人も多いと思う。私達はドイツ人ガイドさんの指示のもと、まず自由に石の間を歩き回って、受けた印象を一人ずつ後で発表した。しかしこれは芸術作品。設計したニューヨークの建築家も、何を意味しているのか、どう解釈されるべきなのか、明言していないのだという。

「迷路のようなつくりと威圧感は、迫害されたユダヤ人の気持ちを表している?」「中心の方で空が見えなくなっていくのは、自由がなくなっていくのを表している?」「コンクリートの灰色は、焼いた死体の灰を表している?」…学生さん達からも色々な見方が出たが、結局は自分で考えるしかない。

ホロコースト記念碑の真ん中あたり
中心に向かうにつれて石が高くなり、人がすっぽり隠れてしまう

この記念碑を建設する際には、ホロコーストの犠牲になったのはユダヤ人だけではないのに、ユダヤ人のための記念碑と限定していいのか、という議論があったという。結果的には、その後、他のグループのために別々の記念碑が作られた。

ホロコースト記念碑の道路を挟んで向かい側にあるのに、あまり知られていないのが、『ナチス時代に迫害された同性愛者のための記念碑』(Denkmal für die im Nationalsozialismus verfolgten Homosexuellen)。

同性愛者のための記念碑
こじんまりとした一つの石碑

ホロコースト記念碑の”引用”としてデザインされたそうで、同じくコンクリート製である。中を覗くと、キスをしている男性2人のカップルと、女性2人のカップルの映像が流れている。

ガイドさんの話で興味深かったのは、女性の同性愛者よりも、男性の同性愛者の方が厳しく迫害されていたということ。ナチスの価値観だけではなく、当時の西洋社会では全般的に、「女性にはセクシュアリティはない」、つまり受け身でしかないと考えられていた。一方で、優等な人種を増やしてドイツという国を繁栄させていくべき男性が、女性と結びつかないということは、絶対に許せないことだった。前日に訪れた強制収容所でも学んだことだが、男性用の強制収容所では同性愛者にはピンクのワッペン(収容された理由のカテゴリーを示す)が付けられて特に差別されていた一方で、女性用の強制収容所では専用のワッペンは用意されていなかったという。

それから、本筋からは少々逸れるのだが、ガイドさんの説明を日本語に通訳していたO教授と私が、びっくりして訳す前に、

えぇっ?!

っと思わず声をあげてしまい、学生さん達に不審がられた話があった。ナチスの時代、ドイツ人女性達には6人の子どもを産むことが推奨されていて、6人目が産まれると勲章をもらえた。そして10人目が産まれると、その子どもには代父(Patenonkel、ゴッドファーザー)がついてちゃんとした証明書をもらえたのだが、それはなんと…アドルフ・ヒトラー

後でドイツ人の友人に聞いて知ったのだが、この制度は今も違う形で生きていて、現在は7人目の子どもが産まれて申請すると、連邦大統領が代父になってくれる。詳しくはこちら(ドイツ語)

次に向かった記念碑は、『ナチスの”安楽死”殺害の犠牲者のための記念・情報碑』(Gedenk- und Informationsort für die Opfer der nationalsozialistischen „Euthanasie“-Morde)。ナチスの時代、多くの精神障害者と身体障害者が”安楽死”の名の下で殺害された。

障害者のための記念碑
ベルリン・フィルハーモニーの隣にある

これも芸術作品なので、意味は特定できないが、ガイドさんはこの「」について考えてみるように言った。普通であれば、空や海、自由を象徴する色。しかしこの記念碑の青は、自然ではなく人工的、無機質な色で、障害者達が殺される場となった病室を思い起こさせる。

最後に訪れたのは、『ナチス時代に虐殺されたヨーロッパのシンティ・ロマ人のための記念碑』(Denkmal für die im Nationalsozialismus ermordeten Sinti und Roma Europas)。

シンティ・ロマ人のための記念碑
国会議事堂の隣にある

淵に詩が刻まれた円形の池のほかに、バイオリン(シンティ・ロマ人の典型的な楽器)の音が流れていて、記念碑を形作っている。池の真ん中の三角形には、本物の花を毎日一輪置くことになっているが、これも芸術作品の一部であり、置いていい花も設計者から指定されているとのこと。

イスラエル人の設計者から渡されたリストの花は、ドイツでは手に入りにくいものが多くて、特に冬は苦労するそう

なぜ記念碑が芸術作品なのか?

実はこの記念碑ツアーでベルリン市内を歩き回った日は、日本の台風のような悪天候で、大雨と強風でずぶ濡れになりながらも、少し落ち着いた隙に写真を撮ったりガイドさんの説明を聞いたりした。私の折り畳み傘は壊れたが…。

さて、そうやって苦労しながら見て回った記念碑だが、なぜ芸術作品なのだろう?

後で学生さんが良いフィードバックをしていたので、まとめとして引用しておく。

「記念碑が芸術作品で、決まった解釈がないということで、最初は戸惑いました。でも、その方が自分で意味を考えないといけないので、印象に残るし、想像力が働いて、良いのかもしれません」

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