イギリスという初恋、ドイツという選択②:ドイツ訪問編

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イギリスの高校での出会い

前回の記事では、初恋の相手のように思い焦がれた末に渡ったイギリスで苦労したこと、自分が外国人であるという意識を強く持つようになったことを記した。

しかし最終的には、生涯の付き合いになるだろう友人をイギリス留学中に得て、私のその後の進路に思いがけない影響を与えることになった。私と同じ現地校に留学していた、同い年のドイツ人Cである。

私も、もう一人の日本人留学生Hも、イギリス人の友達ができないことについて、「見た目が違うからかな」とか「英語力が足りないのかな」とか色々思い悩んでいたのだが、友達ができないとCも悩んでいると本人から聞いて驚き、また少なからず安堵した。彼女は見た目もイギリス人と変わらず、英語も流暢に話し、性格もさっぱりとして社交的。その上おそろしく頭がいい(現在は心理学の博士である)。それでもイギリスではやはり「外国人」なのだった。

「外国人」であるという共通点が、CとHと私の間に仲間意識を生み出したことは間違いない。もちろんそれだけで友情は続かないので、3人とも実際に気が合い、私はCの自信に溢れた芯の強さが好きだったし、最初はお互いに少し距離を置いていたHとも(日本人同士でつるむのは留学生活の邪魔になると思い避けていた)、助け合いながら日々を過ごすように変化していった。

今でも覚えているのは、その冬にCから手渡しでもらったクリスマスカード。イギリスのクリスマスカードといえば、日本の年賀状のような感じで、友達や親戚に何十枚も送るものである。つまり一枚一枚にそんなに時間を掛けることはできないので、カードの片面に一言添えるか、サインだけして送る場合もある。

私も何枚かクリスマスカードをもらったのだが、Cからのカードを開いてびっくりした。見開きのカードがびっしりとメッセージで埋まっていたからだ。私やHと友達になれてどんなに嬉しいかなど、真摯な言葉が綴られており、この子のことは本当に信頼していいんだな、と感動しながら読んだ。

また、Hは何か嫌なことがあったとき咄嗟にCに電話をかけ、泣きながら話を聞いてもらったことがあったらしい。「そうそう、友達ってこういう存在を言うんだよねって思い出したよ」と後からしみじみ言っていたのを覚えている。

私は日本でアメリカ人やカナダ人の先生から英語を学んだ経験はあり、もちろんイギリスではイギリス人に囲まれていたが、ドイツ人と接したのはCが初めてだった。彼女からしても私とHが最初の日本人の友達だったそうだ。

今考えてみれば、Cの出身がドイツではなく、例えばフランスやスペインやロシアであったなら、私の人生もまったく違う方向へ進んでいたのかもしれない。

初めてのドイツ

さて、せっかく意気投合し、週末にも一緒に遊ぶようになったCだが、数ヶ月後には留学期間を終えてドイツへ帰ってしまった。しかし「ドイツに遊びにおいでよ」と言っていたのは口約束ではなく、本当に私とHを実家に招待してくれたのだった。

イギリスの学校には学期ごとにHalf termと呼ばれる1週間の中休みがあるので、ロンドンの空港までホストファミリーに送ってもらい、Hと2人でドイツへ向かうと、空港でCとその家族が出迎えてくれた。私にとって初めてのドイツ、16歳の出来事である。

第一印象は「なんて広々しているんだろう」だった。Cの実家は都市部ではなく、のどかな地域にある。私がイギリスで住んでいたのも『イングランドの庭』と呼ばれる緑豊かで美しい州だったが、ドイツでは更に大らかな気分になった。

低い丘と緑地が連なる中に川が流れ、橋が掛かっている
小高い場所にある近くの街からの眺め

ドイツへ来てほっと一息つけたのは、気が置けない友達2人と一緒だったこともあるし、Cの家族が非常にオープンな人達だったから。そこでは私もHも「外国人」や「日本人」というより、Cの友達であり個人だった。1週間ほどの短い滞在だったが、誰と会って話しても自分が「よそ者」扱いされていると感じることがなく、とても居心地が良かった。イギリスに戻らずもっとここにいられたらいいのに、と思った。

私とHは休暇中でも、Cは平日は学校があったので、ご両親が仕事の合間に私たちを連れ出してくれた。スーパーもドラッグストアもアイス屋さんも、イギリスと似ているようでいてやはり違った。何よりドイツ語をまったく知らなかったので、一応言葉が通じるイギリスより更に異国にいる気がしたはずなのだが、心許なさはなく純粋に楽しかった。

平日のうち1日は、Cが自分のギムナジウム(高校)に私とHを連れていってくれた。先生方に「友達を連れてきたい」と話したらあっさりOKが出たらしい。もし立場が逆だったら、日本の高校にドイツ人の友達を連れていけたか、つまりそれほど学校の対応が柔軟だったか、私には自信がない。

Cにくっ付いて教室の机にちょこんと座り、ドイツの学校生活を体験したものの、もちろん授業はドイツ語なのでほとんど何も理解できなかった。唯一ちゃんと“参加”できたのは美術の授業で、先生が音楽を流し、そこからイメージしたものを好きなように絵にするという、独創的で新鮮なものだった。小さな頃から絵を描くのが好きな私は、イギリスの高校でも美術の授業を取っていたが、デッサンをすることが多く、日本の美術と同じく技術力に重きを置いている印象だった。

Cのギムナジウムの雰囲気が自由だったのも記憶に残っている。制服があったイギリスのグラマースクールとは違い、ドイツは幼稚園から大学まで一貫して私服だし、みんな好き好きにパンやおやつを食べている。伝統的にドイツの学校は始業が朝早く、その代わり午後早くには授業が終わるので(クラブ活動もない)、家に帰ってから温かいものを食べるのだが、そのランチまでにはおなかがすいてしまう。そこで子ども達はパンや野菜、果物、お菓子を授業の合間につまむのである。

家ではお母さんの作ってくれる料理やお菓子にも感激した。Cの一家はベジタリアンで有機栽培のものしか買わないという、動物愛護・環境保全・健康意識の高いドイツ人らしい人達なのだが、何を食べても素朴なのに美味しいのである。ちょうどドイツの初夏の味覚である白アスパラガス、いちご、ルバーブが旬の時期だった。

キッチンでタルト型にいちごを並べている女性。窓の外には草原が広がる
いちごとバナナのタルトを作っているCのお母さん

Cがイギリスでパンを食べながら、「こんなふわふわした空気みたいのじゃなくて、ドイツパンが食べたい」とげんなりしていたのも納得した。噛みごたえのあるドイツの黒パンは、バターやチーズをのせて食べると何とも美味しく満足感がある。

大学生だったCのお姉さんの誕生日パーティーがあるというので、Cに連れられていくと、「もう16歳だよね?じゃあこれ」とビールを勧められてびっくりしたのも覚えている。

ドイツではなんと16歳からビールやワインの購入・飲酒が許されています

言葉変われば地名も変わる

ちょっと脱線するが、Cの実家はドイツ北西部のノルトライン=ヴェストファーレン州にある。イギリスから予約するように言われた飛行機の行先は、英語で「Cologne Bonn Airport」という空港だった。ボンというのは、元々ドイツに繋がりのなかった当時の私でも聞いたことがある地名だった。

しかしCologneというのはどこなのだろう。しかも実際に来てみると、どうやらドイツ語ではKölnと書くようで、発音は「クゥーン」と聞こえる。

そう思っているうちに、Cの家族とその街へ出掛けて、ユネスコの世界遺産だという巨大なゴシック様式の大聖堂を見た。そこで初めて私は、英語で「Cologne」、ドイツ語で「Köln」と呼ばれている街が、日本語でいう「ケルン」だということに思い至った。

そう、目の前に聳えていたのはケルン大聖堂だったのである。言語によって表記と発音が違いすぎて、頭の中で結びつかなかった。

空高くそびえるケルン大聖堂
いくら見上げても写真に収まりきらない巨大さ

ちなみに、日本語でオーデコロンと呼ばれる香水の一種もケルンが発祥である。フランス語で「Eau de Cologne」、直訳すると「ケルンの水」となる。

イギリスから帰国

閑話休題。

居心地の良いドイツ滞在はあっという間に終わり、名残惜しく思いつつCと家族に別れを告げて、私とHはイギリス留学生活へと戻った。

そして、一言で「楽しかった」とは言い切れない1年間ではあったが、幸い大きな問題もないまま帰国の日を迎えた。私にとってイギリスは初恋の国だったが、本当に「受け入れてもらえた」という感じはなく、またイギリスに戻りたいとは思えなかった。この国では、いつまでも「よそ者」でしかいられない気がした。

私とHに学校で一番良くしてくれたのは美術の先生だったが、今考えてみれば彼女も「よそ者」であり、スコットランド出身だった。英国人には違いないが、イングランド人ではなかった。クラスメートからも「美術の先生、スコットランド人なんだよ」「英語が聞き取りにくいかも」などと聞かされていたが、いくら長くイングランドの学校で教えていても、「スコットランド人」として、半ば外国人のように見られることに変わりはなかったのである。もしかすると、それもあって私たち留学生に優しかったのかもしれない。私とHが帰国する際にはプレゼントをくれ、涙ながらにお別れした。

さて、このようにして、私はイギリスに留学したのにドイツ人の心の友を得て帰国した。この縁がその後の選択を決定づけたことは間違いない。次の記事からは、私の人生がどんどんドイツへと向かっていく過程を記してみたい。

留学
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コメント

  1. 浜須ホイ より:

    お疲れ様です。ときどき訪れています。

    英国留学がきっかけでドイツに行かれることになるとは、男女間のことではありませんが縁は異なものに近い?でしょうか。 
    海外では自分が外国人という感覚も新鮮に思えます。実際には辛いこともありそうな気がしますが。 

    ケルン大聖堂は聞いたことはありましたが、オーデコロンがケルンの水を意味するとは知りませんでした。

    ちょっと前のブログから
    ・独の休暇の長さや考え方、やはり欧米的なのでしょうか。個人的にはあまりに長期休暇だと持て余しそうで、3~4日の休みが何度かある方が良いタイプです。
     
    ・欲しかった家具が街中で拾えた(?!)こと、偶然もあったとはいえベルリン凄いです。日本では粗大ごみの処理は各市町村の規則通りにしないと迷惑行為になりかねないところですね。 
         

    ドイツの中ではデュッセルドルフでよく日本文化がみられると聞きました。ドイツの中での日本語・日本文化への理解いついて、これからもアップしていただけると嬉しいです。 

    そちらでもワクチン接種が進んでいますか?英国はかなり進んでいると聞かれますが。
    日本も最近になってようやく接種の動きが加速してきました。東京オリンピック・パラリンピックは批判的な見方が多いのですが、どうなるでしょうか。

    ではまたいつか。

    • Aki Aki より:

      こんにちは、コメントありがとうございます!

      確かに、疲れを癒すという意味でも、何度か3〜4日の休みがあるのもいいですよね。仕事も溜まりませんし。
      ドイツでは「休暇=旅行」と考えている旅行好きの人が多く、休暇は長ければ長いほど良いようです。
       
      不要な家具をアパートの前に出しておいたら、日本では迷惑行為になりかねないということ、ごもっともです。ドイツだと普通ですが、これも文化の違いですね。
           
      仰る通り、デュッセルドルフは日本企業と日本人が特に多いことで有名です。
      私が暮らしているベルリンにも日本人がいるにはいるのですが、アーティストはじめ、一匹狼(?)な人が多いためか、デュッセルドルフほどしっかりした日本人ネットワークがありません。

      ドイツもかなりワクチン接種が進んで、少なくとも一回は受けた人が周りに増えてきました(私も一回目は終わりました)。
      日本もスムーズに進んでいくといいですね!オリンピック・パラリンピックの動向、私も毎日気にして追っています。

      更新ペースが非常にゆっくりですが、また気が向いた時にブログを覗いていただければ嬉しいです!

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